Kimiko Kasai = 笠井紀美子 - Tokyo Special (1977)
笠井紀美子『Tokyo Special』(1977)について
『Tokyo Special』は、ジャズ歌手として知られる笠井紀美子が1977年に日本で発表したアルバムだ。CBS/Sonyからのリリースで、当時の日本のポップスやジャズの空気を強く映した一枚として位置づけられる。クレジット上はジャズ、ファンク、ソウル、ポップの要素が並ぶが、実際にはその境界を行き来する作りで、いわゆるシティ・ポップ期の東京の感覚とも近い場所にある作品だと見てよさそうだ。
笠井紀美子は1945年生まれ、京都出身の日本のジャズ・シンガーで、後年はリチャード・ルドルフと結婚したことでも知られる。本作は、彼女のキャリアの中でも、ジャズの歌い手という枠に収まりきらない広がりを持った時期の代表的なタイトルのひとつとして語られることが多い。録音は1977年7月から8月にかけて、南箱根のロックウェル・スタジオ、東京のアコースティック・ハウス・スタジオ、サンライズ・スタジオで行われている。制作の流れが複数のスタジオをまたいでいる点からも、当時の洗練された都市型サウンドを丁寧に組み立てた作品であることがうかがえる。
作品の輪郭
このアルバムは、笠井紀美子の声を中心に据えながら、演奏のリズム感やアレンジの立ち方で曲ごとの表情を作っていくタイプの作品だ。ジャズの歌唱にあるフレーズの運びや間の取り方は残しつつ、ファンク寄りのグルーヴやソウルの滑らかさ、ポップスとしての聴きやすさが同居している。1970年代後半の日本では、都会的な洗練を持つ音作りが広がっていたが、『Tokyo Special』もその文脈の中で自然に聴こえる内容だ。
タイトルが示す通り、東京という都市の感触をまとった作品でもある。華美に寄りすぎず、しかし乾いた印象にも振れすぎない。歌声が前に出る場面と、伴奏のリズムが空気を引っ張る場面のバランスがよく、アルバム全体としてまとまりがある。録音時期が1977年夏に集中していることもあり、音の質感には同時代的な一体感がある。
注目曲「Tokyo Special」
タイトル曲「Tokyo Special」は、このアルバムの性格を端的に示す存在だ。笠井紀美子のボーカルが、ジャズの柔らかさを保ちながらも、よりリズム主体の流れに乗っていく。言葉の置き方に余裕があり、強く押し出すというより、拍の上で自然に泳ぐような歌い方が印象に残る。都会の夜景をそのまま音にしたような、と言い切るほど単純ではないが、都市的な速度感と落ち着きが同時にある。
この曲では、演奏が歌を支えるだけでなく、曲の輪郭そのものを形作っている。ベースとドラムの推進力が前に出る一方で、上物は細かく整理されていて、雑多さは少ない。結果として、ジャズ歌手のアルバムでありながら、当時の国内ポップスやダンス系の感覚とも接続する仕上がりになっている。笠井紀美子の作品の中でも、ジャズを基点にしながら時代の空気を取り込んだ例として見やすい。
注目曲「I Thought It Was You」
収録曲の中でも、マイケル・ジャクソンの楽曲として知られる「I Thought It Was You」は重要だ。彼女の歌唱を通すことで、原曲の持つ都会的なファンク感が別の角度から立ち上がる。英語詞の響きに対して、発音を前面に出しすぎず、リズムに沿ってなめらかに運ぶ感じがある。原曲の持つ軽快さを保ちながら、よりジャズ・シンガーらしい呼吸でまとめている印象だ。
この曲の聴きどころは、派手な解釈よりも、フレーズの置き方とグルーヴの合わせ方にある。笠井紀美子のボーカルは、メロディをただ追うのではなく、リズムの隙間に言葉を置いていく。そのため、曲の骨格がはっきり見える。1970年代後半の日本の洋楽カバーや英語詞ポップスの中でも、完成度の高い部類に入ると考えられる。
同時代の文脈の中で
『Tokyo Special』は、同時代の日本のシティ・ポップや都会派ソウルと並べて語られることがあるが、笠井紀美子の場合はあくまでジャズ・シンガーとしての基礎が強い。そのため、単純なポップ路線の作品とは少し違う。たとえば、同じ時期の都会的な女性ボーカル作品と比べても、フレーズの自由度や声の置き方にジャズ寄りの感覚が残っている。そこが本作の輪郭をはっきりさせている。
1970年代の日本では、ジャズ、ソウル、ポップス、ファンクが互いに近づいていく流れがあったが、本作はその交差点にあるアルバムのひとつだ。ジャズ喫茶的な聴かれ方だけでなく、当時のラジオやレコード文化の中で広く受け止められうる作りになっている。CBS/Sonyというレーベルの制作環境も含め、音の整え方に時代性が出ている。
オリジナル盤の情報
1977年の日本盤はCBS/Sonyの25AP 730という品番で出ている。付属物としては帯と、歌詞を収めたカラー・インサートが付く仕様だ。日本盤らしい丁寧なパッケージで、当時のポップス/ジャズ作品としては標準的ながら、内容と合わせて所有感のある作りだったはずだ。再発盤について細かな仕様差を語れる情報はここではないが、少なくともオリジナル盤は1977年当時の空気をそのまま封じ込めた初出の形だといえる。
まとめ
『Tokyo Special』は、笠井紀美子の歌を軸に、ジャズの即興性とファンク/ソウルのリズム感、そして1970年代後半の日本的な都市感覚をまとめたアルバムだ。タイトル曲や「I Thought It Was You」のような楽曲では、彼女の歌い手としての柔軟さがよく見える。ジャズの文脈だけでなく、シティ・ポップや和製ソウルの流れを考えるうえでも、外せない一枚として扱われることが多い作品だ。
トラックリスト
- A1 バイブレイション (Love Celebration) 4:15
- A2 やりかけの人生 6:12
- A3 夏の初めのイメージ 4:44
- A4 ベリー・スペシャル・モーメント 3:00
- A5 人はそれぞれ (Just Another Love Song) 4:36
- B1 Tokyo Special (Manhattan Special) 3:55
- B2 木もれ陽 (Sequoia Forest) 5:31
- B3 テイク・ミー 4:20
- B4 待ってて (Laid Back Mad Or Mellow) 5:22