Letta Mbulu

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Letta Mbulu

Letta Mbuluとは

Letta Mbuluは、南アフリカ・ソウェト出身のシンガーだ。1942年8月23日生まれで、若いころから舞台やツアーの現場で経験を積んだ。ジャンルはFolk, World, & Country、Funk / Soulにまたがり、スタイルとしてはBoogie、Synth-pop、Soulが挙げられている。

南アフリカでの出発点

10代の頃、ミュージカル「King Kong」のアンサンブルに参加した。ここでMiriam MakebaやHugh Masekelaらと共に南アフリカ国内外を巡演している。早い段階から、舞台と歌の両方で活動していたことがわかる。

その後、アパルトヘイト体制下の状況を背景に、1964年にアメリカへ移った。以後26年間、亡命生活を送ることになる。

アメリカでの活動と交流

ニューヨークでは、同じく南アフリカから米国へ渡っていたMiriam Makeba、Hugh Masekela、Jonas Gwangwaらのコミュニティに加わった。さらにHarry BelafonteやCannonball Adderleyとも交流・共演を重ねている。

この時期の活動は、南アフリカの音楽家が国外でつながりを作りながら仕事を広げていった流れの中にある。Letta Mbuluもその中心のひとりとして動いていた。

代表的な仕事

亡命中の仕事としてよく挙げられるのが、テレビドラマ「Roots」のサウンドトラック参加だ。作品の広い認知とともに、彼女の声も聴かれる。

また、Michael Jacksonの1987年のアルバム「Bad」に収録された「Liberian Girl」の冒頭で聴けるスワヒリ語のチャントもLetta Mbuluによるものだ。アレンジは夫のCaiphus Semenyaが担当している。

Caiphus Semenyaとの関係

Letta Mbuluは、同じく「King Kong」のツアーで知り合った音楽家Caiphus Semenyaと結婚した。以後は公私にわたるパートナーとして活動している。ウェブ上の情報では、2人は数々のヒット曲も生み出している。

帰国後の活動

1990年代初頭、アパルトヘイト体制の終焉が近づく中で、1991年の「Unity Festival」出演を機に26年ぶりに南アフリカへ帰国した。帰国後は、1992年のアルバム「Not Yet Uhuru」を南アフリカ国内で初めてレコーディングしている。この作品もCaiphus Semenyaのプロデュースで制作された。

音楽的な特徴

ディスコグラフィ上ではFolk、World、Country、Funk / Soulにまたがり、BoogieやSynth-pop、Soulの要素も示されている。実際の活動歴を見ると、舞台作品、サウンドトラック、ポップスの制作現場など、複数の場で歌声を使い分けてきたことがうかがえる。

南アフリカの音楽家として育ち、亡命先のアメリカでも現地の音楽家と組みながら活動した点は、彼女のキャリアを理解するうえで大きい。南アフリカ音楽を国外へ持ち出し、そこで新しい制作環境に接続していった人だ。

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