Louis Smith

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Louis Smith

Louis Smithとは

Louis Smithは、1931年5月20日にテネシー州メンフィスで生まれ、2016年8月20日にミシガン州アナーバーで亡くなったアメリカのジャズ・トランペッター、バンドリーダー、教育者だ。ジャンルはジャズ、スタイルはハード・バップに分類される。

演奏家としての歩み

スミスは13歳でトランペットを始め、高校時代にはスクール・バンドでも演奏した。その後、テネシー州立大学で音楽学士号を取得し、さらにミシガン大学で大学院研究を進めた。ニューヨークでの初登場は、テネシー州立大学の学生グループであるTennessee State Collegiansとして出演したカーネギー・ホール公演だった。

1954年に徴兵されて兵役を終えたあと、1955年にはジョージア州アトランタのBooker T. Washington High Schoolで音楽を教える仕事に就いた。その後もこの学校で教えながら演奏活動を続けている。

Blue Noteからのデビュー

アトランタで演奏していたスミスは、レコード・プロデューサーのディック・ウィルソンにデモ録音を勧められ、それをBlue Noteに送ったことで契約につながった。1958年に出た初リーダー作『Here Comes Louis Smith』は、もともとTransition Recordsで録音され、後にBlue Noteから発売された作品だ。このアルバムには3曲のスミス自身のオリジナルが入っている。

この作品には、当時Mercuryと契約していたため実名を出せなかったキャノンボール・アダレイが、「Buckshot La Funke」という偽名でサックス参加している。この名前は、後年ブランフォード・マルサリスが自分のバンド名「Buckshot LeFonque」を付ける際の由来にもなった。

教育者としてのキャリア

スミスは演奏活動と並行して、学校や大学での音楽教育に長く携わった。ジョージア、テネシー、カンザス、ミシガン州アナーバーなどの教育機関で音楽を教え、のちにはミシガン大学アナーバー校で講師兼バンド指導者を務めた。演奏と教育を切り分けずに続けた点が、この人のキャリアの大きな特徴になっている。

録音活動の空白と復帰

『Here Comes Louis Smith』の成功後も、スミスは長く録音から離れた。およそ23年間、レコーディングの場から遠ざかり、その間は教育に力を注いでいる。1978年から1979年にかけて『Just Friends』『Prancin'』の2作を制作して一時的に復帰したが、その後は再び教職中心の生活に戻った。

その後、1989年にミッキー・タッカーの『Sweet Lotus Lips』に参加したことをきっかけに、本格的な演奏活動を再開した。1990年にはSteepleChase Recordsから『Ballads For Lulu』を録音している。2006年に脳卒中を患ってからは表立った演奏活動は再開しなかったが、デトロイト/アナーバー周辺のジャズ・シーンにはたびたび姿を見せていたという。

音楽的な位置づけ

Louis Smithは、ハード・バップ系のトランペッターとして知られる。初期のBlue Note作品と、その後の長い教育者としての活動が並んで語られることが多い。録音数だけを見ると寡作だが、デビュー作の存在感と、学校現場で音楽を教え続けた経歴がはっきり残っている。

また、キャノンボール・アダレイの偽名参加のエピソードや、ブランフォード・マルサリスのバンド名への影響など、周辺のジャズ史にも名前が出てくる。演奏家としてだけでなく、教育者としてもジャズの流れに関わった人物として見ておきたい。

参考

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