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Mandukaは、ブラジル出身のシンガー/コンポーザー、Alexandre Manuel Thiago de Melloの名義だ。1952年2月21日、リオデジャネイロ州ペトロポリスに生まれ、2004年10月17日にリオデジャネイロで52歳で亡くなっている。父は詩人のチアゴ・デ・メロ、母はジャーナリストのポモナ・ポリティスだ。
18歳のとき、軍事政権下で左派知識人への締め付けが強まっていたブラジルを離れ、家族とともにチリのサンティアゴへ移住した。その後4年間をチリで過ごし、ここで音楽活動を本格化させている。
チリ時代には、映画監督グラウベル・ローシャの招きで映画『A Estrela do Sol』に俳優兼作曲家として参加したほか、ゲラルド・ヴァンドレと共作し、1972年にはペルーのフェスティバル「Aguadulce」で受賞している。この時期のMandukaは、ロック・ナシオナルやヌエバ・カンシオン・チレーナの流れの中で活動していた。
1972年にチリのIRTから発表した初のソロアルバム『Manduka』は、10分を超える表題曲で知られ、「Brasil 1500」の通称でも流通している。ディスコグラフィー上も、この作品は彼の出発点として重要だ。
その後はアルゼンチンへ渡り、1973年にはベネズエラ、さらにヨーロッパへ活動の場を広げた。アルゼンチンではアウグスト・ボアルと組んでシェイクスピア劇の劇伴音楽を手がけている。ヨーロッパではドイツ、フランス、スペインなどでレコーディングや著作活動を続けた。
Mandukaの作品歴を見ると、南米各地の音楽家との共演が目立つ。チリではロス・ハイヴァスとの共演経験があり、1975年にはナナ・ヴァスコンセロスとの共作盤『Manduka e Naná Vasconcelos』をフランスのLe Chant du Mondeから発表している。1978年にはロス・ハイヴァスとの共演作『Los sueños de America. Manduka & Los Jaivas』も残している。
1986年にはキューバでパブロ・ミラネスと共作した『Sétima vida. Manduka & Pablo Milanês』を発表した。ほかにも、詩人の父チアゴ・デ・メロとの共同名義作品『Os estatutos do homem. Manduka e Thiago de Mello』がある。
公開されている作品情報や活動歴を見ると、Mandukaはフォークを軸にしながら、ラテン音楽や各地の大衆音楽、さらに政治的・社会的な背景を持つ南米の音楽潮流と接続していた。ジャンル表記もFolk, World, & Country、Latin、Folkとなっていて、単一のスタイルに収まりきらない活動だったことがうかがえる。
とくに初期のチリ時代は、ヌエバ・カンシオン・チレーナやロック・ナシオナルの文脈と重なっている。長尺の曲や、他の南米音楽家との共同制作、演劇や映画への参加もあって、シンガーソングライターという枠だけでは見えにくい広がりがある。
1979年にブラジルへ戻ったあとも、Mandukaはさまざまなプロジェクトで活動を続けた。1980年のテレビ音楽祭で優勝し、1980年代にはメキシコに6年間滞在している。1997年から2001年にかけては造形美術にも取り組み、批評家フェレイラ・グラールから評価を受けた。
音楽だけでなく、映画、演劇、著作、造形美術まで活動の幅が広い人物だ。南米各地を移動しながら作品を残した点も含めて、彼の経歴そのものが当時の文化交流の記録になっている。