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23 Skidooは、1979年にフリッツ・キャトリン、ジョニー・ターンブル、サム・ミルズによって結成されたイギリスのバンドだ。インダストリアル、ポストパンク、オルタナティブ・ダンス、ロック、ワールド・ミュージックを横断する作風で知られている。
バンド名は20世紀初頭のアメリカ俗語に由来し、アレイスター・クロウリー、ウィリアム・S・バロウズ、ロバート・アントン・ウィルソン、映画監督ジュリアン・ビッグスの作品にも登場する語から取られている。
結成当初の23 Skidooは、武術、ブルンジやコドウの太鼓、フェラ・クティ、ラスト・ポエッツ、ウィリアム・S・バロウズといった関心を音楽に取り込みながら、ア・サートゥン・レシオ、スロッビング・グリッスル、キャバレー・ヴォルテール、ザ・ポップ・グループ、This Heatなどと重なる流れの中で活動していた。
1980年には最初の7インチ「Ethics」を発表し、続く「Last Words」12インチはキャバレー・ヴォルテールのスティーヴン・マリンダーがプロデュースした。1981年9月16日にはピール・セッションも録音しており、リチャード・ヘシップやティム・ソアも参加している。
1982年のデビュー・アルバム『Seven Songs』は、アフリカの森の湿度の高い閉塞感を思わせる作品として紹介されることがある。
23 Skidooの音楽には、ファンク、ダブ、ガムランの要素がはっきり見える。特にターンブル兄弟がインドネシア滞在中に触れたガムランは、その後の作品に影響を与えたとされている。
その流れが出た作品のひとつが1984年の『Urban Gamelan』だ。タイトルの通りガムランへの関心が前面に出ていて、当時は抽象的な方向への移行として受け止められた。
この時期の23 Skidooは、インダストリアルやポストパンクの硬い質感に、ファンクのリズム、ダブの処理、非西洋音楽の打楽器感覚を重ねていた。ジャンル名だけでは収まりにくいが、使っている要素はかなり具体的だ。
バンドは途中で編成の変化もあった。『Tearing Up The Plans』はターンブル兄弟不在の時期に制作され、まもなくサム・ミルズとトム・ヘスロップが脱退している。その後はピーター・“スケッチ”・マーティンが加わり、解散までこの編成が続いた。
1983年の「The Culling Is Coming」は第1回WOMAD Festivalでのライヴを収めたことで知られ、1987年にはヒップホップ寄りの方向へ進んだシングル群とコンピレーション『Just Like Everybody』を発表した。活動の軸が少しずつ変わっていった時期だ。
1989年にはターンブル兄弟がレーベル「Ronin」を立ち上げ、Deckwrecka、Roots Manuva、Rodney Pなどの作品も扱った。23 Skidoo自身の活動だけでなく、周辺のUKヒップホップにも関わっていた点が特徴的だ。
1991年にはVirgin Recordsと契約し、新しいスタジオを構えた。2000年にはPharoah SandersやRoots Manuvaが参加したセルフタイトル作をリリースしている。2002年にはシングル集『The Gospel Comes To New Guinea』、さらに『Seven Songs』『Urban Gamelan』のCD再発も行われた。
2003年にターンブル兄弟が会社を清算し、バンドとしての活動は終わっている。その後、2008年にはLTMがバックカタログ全体を再発した。
23 Skidooは、ポストパンク以降の英国音楽の中で、インダストリアル、ファンク、ダブ、ワールド・ミュージックを実際に混ぜていったバンドとして見られている。初期の作品はA Certain RatioやCabaret Voltaire、Throbbing Gristleらと並べて語られることが多い。
また、「Coup」のベースラインは後年のケミカル・ブラザーズ「Block Rockin' Beats」との類似が指摘されたことでも知られている。こうした話題も含めて、23 Skidooは90年代以降のダンス・ミュージックやオルタナティブなビート作りに接点を持つ存在として扱われている。
23 Skidooを追うと、1980年代の英国でインダストリアルやポストパンクがどうファンクやダブ、さらにガムランやアフリカ音楽の要素と交わっていたかが見えてくる。作品ごとに方向は変わるが、リズムの組み方と音の参照先は一貫している。