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Ahmad Jamal(アハマド・ジャマル)は、1930年7月2日生まれ、ペンシルベニア州ピッツバーグ出身のジャズ・ピアニスト、作曲家、バンドリーダー、教育者。生まれたときの名前はフレデリック・ラッセル・ジョーンズで、1950年代初頭にAhmad Jamalへ改名した。2023年4月16日、マサチューセッツ州アシュリー・フォールズで92歳で亡くなっている。
ジャマルは3歳でピアノを学び始め、アート・テイタムやエロール・ガーナーの影響を受けた。11歳の時点でプロとして演奏していたとされ、かなり早い段階から現場に立っていたことがわかる。17歳でジョージ・ハドソン楽団に加入した後はシカゴへ拠点を移し、1951年頃にはギターとベースを加えたドラムレス編成のトリオ「ザ・スリー・ストリングス」を結成した。ここが、のちのアハマド・ジャマル・トリオにつながっていく。
ジャマルの名前を大きく広めたのが、1958年にシカゴのパーシング・ホテルで録音されたライブ・アルバム『At the Pershing: But Not for Me』だ。代表曲「Poinciana」を含むこの作品はヒットし、ビルボードのチャートに100週以上とどまった。ジャズのインストゥルメンタル作品としてはかなり長く売れた記録として知られている。
ジャマルのピアノは、音数を詰め込まず、音と音のあいだを大きく使うことで知られる。強く弾き続けるよりも、フレーズの置き方や間の取り方で聴かせるタイプで、トリオ演奏でもその設計がはっきり出る。ドラムレス編成を早い段階で採用したこともあって、ベースとピアノの役割分担が明確で、音の配置そのものに耳が向く演奏が多い。
ジャマルの影響を受けた演奏家として、マイルス・デイビスの名前がよく挙がる。デイビスは自伝の中で、ジャマルの「間の概念」「タッチの軽やかさ」「抑制」に強い印象を受けたと述べている。こうした要素は、デイビスのその後の作品、とくに『Kind of Blue』のような録音にもつながっていると見られている。
長年の活動はさまざまな形で評価されている。1994年にはアメリカ国立芸術基金(NEA)からジャズ・マスターズ賞を受賞し、2017年にはグラミー賞の生涯功労賞を受けた。ジャズ史の中で、演奏だけでなく編成や間の使い方にも影響を残したピアニストとして扱われている。