Al Green

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Al Greenのプロフィール

Al Green(アル・グリーン)は、1946年4月13日生まれのアメリカのソウル/ゴスペル・シンガー、ソングライターだ。アーカンソー州フォレスト・シティに小作農の父ロバート・G・グリーン・ジュニアと母コーラ・リーの10人きょうだいの6番目として生まれた。本名はAlbert Leornes Greeneで、キャリア初期は本名の綴りである「Al Greene」名義で活動し、1969年のハイ・レコード(Hi Records)との契約を機に末尾の「e」を外した「Al Green」の表記を使うようになった。

1970年代前半にプロデューサーのウィリー・ミッチェルとともにメンフィス・ソウルの黄金期を築き上げ、「ザ・ラスト・オブ・ザ・グレート・ソウル・シンガーズ(最後の偉大なソウル・シンガー)」とも称される。1976年からはメンフィスの教会「フル・ゴスペル・タバナクル(Full Gospel Tabernacle)」で牧師を務めている。

キャリア初期とデビュー(1946年〜1968年)

グリーンは9〜10歳の頃からきょうだいたちとゴスペル・カルテット「The Greene Brothers」を結成して南部各地を巡業し、1950年代後半に家族とともにミシガン州グランドラピッズへ移住した。10代の頃はマヘリア・ジャクソンなどのゴスペルだけでなく、ウィルソン・ピケット、エルヴィス・プレスリー、サム・クック、ジャッキー・ウィルソンといった世俗音楽にも強く惹かれたが、自宅でジャッキー・ウィルソンのレコードを聴いていたところを敬虔な父親に見つかり、激怒した父に家を追い出されてしまう。

その後、グランドラピッズのサウス・ハイスクールの友人であるカーティス・ロジャース(Curtis Rodgers)やパーマー・ジェームズ(Palmer James)らとR&Bヴォーカル・グループ「Al Greene & the Creations」を結成。1967年にロジャースとジェームズが地元のインディペンデント・レーベル「Hot Line Music Journal」を設立すると、グループ名を「Al Greene & the Soul Mates」に改め、シングル「Back Up Train」を発表した。この曲は1968年初頭に米Billboard R&Bシングル・チャートで最高5位、Billboard Hot 100で最高41位を記録するヒットとなり、ファースト・アルバム『Back Up Train』(1967年録音/1968年全国流通)もリリースされたが、後続のシングルはチャートインせず、グループは解散状態となった。

ウィリー・ミッチェルとの出会いとハイ・レコード期(1969年〜1971年)

1969年、テキサス州ミッドランドのクラブ公演で、メンフィスのハイ・レコード副社長兼プロデューサー/トランペット奏者であったウィリー・ミッチェル(Willie Mitchell)のバンドをバックに歌ったグリーンは、その才能を見出されてハイ・レコードと契約を結ぶ。当時ポケットにわずか6ドルしか持っていなかったグリーンに対し、ミッチェルは「君がスーパースターになるには1年半(18ヶ月)かかる」と告げて1,500ドルの前渡し金を渡したという。

ミッチェルは、当時サム・クックやジャッキー・ウィルソン、ジェームズ・ブラウンのように力強くシャウトしていたグリーンに対し、「他の誰かの真似ではなく、君自身の声で歌え」と助言し、声を張り上げるのではなくマイクのすぐ近くで囁くように歌う親密なウィスパー・ヴォイスと、滑らかなファルセットを引き出した。テネシー州メンフィスのロイヤル・レコーディング・スタジオ(Royal Recording Studios)で録音されたハイ・レコードでのデビュー作『Green Is Blues』(1969年)から、その方向性が形になっていく。

続く2作目『Al Green Gets Next to You』(1971年)では、テンプテーションズのカヴァー「I Can't Get Next to You」をスローなブルース・ファンクに再構築してR&Bチャート11位に送り込むと、グリーン自身が単独で作詞作曲した「Tired of Being Alone」(1971年)がR&Bチャート1位、Billboard Hot 100で最高11位を記録した。この曲は自身初のミリオンセラー(RIAAゴールド認定シングル)となり、1971年から1974年の間にグリーンが放った8枚のゴールド・シングルの第1号となった。

黄金期の「ハイ・サウンド」と6作連続R&Bチャート1位(1972年〜1975年)

1970年代前半は、いわゆる「ハイ・サウンド」が完成した時期だ。ウィリー・ミッチェルのプロデュースのもと、メイボン“ティーニー”・ホッジス(ギター)、リロイ・ホッジス(ベース)、チャールズ・ホッジス(オルガン、ピアノ)のホッジス3兄弟と、ハワード・グライムスおよびスタックスのアル・ジャクソン・ジュニア(ドラムス)からなる「ハイ・リズム・セクション(Hi Rhythm Section)」、ウェイン・ジャクソンとアンドリュー・ラヴら「メンフィス・ホーンズ」、ジェームズ・ミッチェル編曲の「ザ・メンフィス・ストリングス」、チャールズ・チャルマーズ&ローズ・シスターズ(ドナ&サンドラ・ローズ)のコーラスが一体となった。ミッチェルはグリーン専用のRCA 77DXリボンマイクを用意し、ミュートした太いベースとドライなスネアの上に、華麗なストリングスとグリーンの繊細なファルセットが浮かび上がる音響空間を作り上げた。

1972年1月発表の『Let's Stay Together』では、グリーン、ミッチェル、アル・ジャクソン・ジュニア共作の表題曲がBillboard Hot 100で1位、R&Bチャートで9週連続1位を記録し、アルバム自体もR&Bアルバム・チャートで10週連続1位(Billboard 200で8位)を獲得した。なお、グリーンは当初この「Let's Stay Together」のシングル化に消極的で、レコーディングにも2日間(通算100テイク近く)を費やし、ミッチェルに説得されてようやく完成させたという逸話がある。同作に収録されたビージーズのバラード・カヴァー「How Can You Mend a Broken Heart」も批評家から高く評価され、後の映画『ノッティングヒルの恋人』(1999年)などでも使用された。

続く『I'm Still in Love with You』(1972年10月、R&B 1位・Pop 4位、プラチナ認定)からは「Look What You Done for Me」(Pop 4位・R&B 2位)と表題曲(Pop 3位・R&B 1位)が連続トップ10入り。さらに最高傑作の誉れ高い『Call Me』(1973年4月、R&B 1位・Pop 10位)では、ウィリー・ネルソンの「Funny How Time Slips Away」やハンク・ウィリアムズの「I'm So Lonesome I Could Cry」といったカントリーの名曲を取り入れつつ、「You Ought to Be with Me」(Pop 3位・R&B 1位)、「Call Me (Come Back Home)」(Pop 10位・R&B 2位)、「Here I Am (Come and Take Me)」(Pop 10位・R&B 2位)と3曲の全米トップ10ヒットを生んだ。その後も『Livin' for You』(1973年12月、R&B 1位)、『Al Green Explores Your Mind』(1974年、R&B 1位、「Sha-La-La (Make Me Happy)」がPop 7位・R&B 2位)、そして『Al Green Is Love』(1975年、R&B 1位、「L-O-V-E (Love)」がR&B 1位・Pop 13位)まで、6作連続でBillboard R&B/ソウル・アルバム・チャート1位という記録を打ち立てた。

「Take Me to the River」と楽曲の広がり

1974年のアルバム『Al Green Explores Your Mind』に収録された「Take Me to the River」は、1973年にアーカンソー州ハミルトン湖畔の貸家でティーニー・ホッジスと3日間滞在して共作した代表曲だ。1971年に39歳で早世したいとこのブルース・シンガー、リトル・ジュニア・パーカー(Little Junior Parker)への追悼として書かれた曲で、レーベルメイトのシル・ジョンソン(1975年、R&B 7位)や、ブライアン・イーノが共同プロデュースしたトーキング・ヘッズ(1978年『More Songs About Buildings and Food』収録、Pop 26位)をはじめ、フォガット、レヴォン・ヘルム、ブライアン・フェリーら多くのアーティストにカヴァーされるロック/ソウルのスタンダードとなった。

また、「Love and Happiness」「Simply Beautiful」「I Wish You Were Here」をはじめとするハイ・レコード期の楽曲は、ウータン・クラン(RZA)、モブ・ディープ、ナズ、カニエ・ウェスト、ジェイ・Z、ドクター・ドレーらヒップホップ・プロデューサーにとっても重要なサンプリング・ソースとして繰り返し使われてきた。

1974年のグリッツ事件と牧師への転身、『The Belle Album』

絶頂期の1974年10月18日、メンフィス郊外のグリーンの自宅で起きた「グリッツ事件」は、グリーンの人生を大きく変えた。交際相手だったメアリー・ウッドソン・ホワイト(既婚で子どもがいることを隠していた)が求婚を断られた末、入浴中のグリーンに沸騰したコーングリッツ(トウモロコシの粥)を浴びせて背中・腹部・腕に皮膚移植を要する重度の火傷を負わせ、その直後にグリーン所有の38口径拳銃で自ら命を絶ったのである。この事件を「神からの目覚めの呼びかけ(ウェイクアップ・コール)」と受け止めたグリーンは、1976年にメンフィスで教会を購入し、フル・ゴスペル・タバナクル教会の牧師に叙階された。

世俗的なスター生活と聖職者の召命との間で葛藤していたグリーンは、1977年にウィリー・ミッチェルやハイ・リズム・セクションのもとを離れ、メンフィスに自前の「American Music Recording Studios」を構えて初のセルフ・プロデュース作『The Belle Album』(1977年)を発表した。グリーン自身がアコースティック/エレクトリック・ギターのリードを弾き、「Belle」(R&B 9位)で「愛する女性(Belle)は欲しいが、神から離れることはできない」と歌ったこの作品は、ロバート・クリストガウやグレイル・マーカスから絶賛され、のちに『Spin』誌の「歴代最高のアルバム100選」(1989年)で第16位、『The Wire』誌の「世界を燃え上がらせた100枚のレコード」(1998年)に選出された。

その後、1979年にオハイオ州シンシナティでのコンサート中にステージから転落して負傷したことを最後の天啓と捉えたグリーンは、世俗音楽から一旦退き、1980年の『The Lord Will Make a Way』(Myrrh Records)から1989年にかけてゴスペル・アルバムの制作と牧師活動に専念した。この期間にグラミー賞の最優秀ソウル・ゴスペル・パフォーマンス賞を8度受賞し、1982年にはパティ・ラベルとブロードウェイ・ミュージカル『Your Arms Too Short to Box with God』で共演、1984年にはロバート・マギー監督によるドキュメンタリー映画『Gospel According to Al Green』が公開された。

世俗音楽への復帰と後年の活動(1988年〜現在)

1988年、映画『3人のゴースト(Scrooged)』のサウンドトラックでユーリズミックスのアニー・レノックス(Annie Lennox)とデュエットした「Put a Little Love in Your Heart」がBillboard Hot 100で最高9位を記録し、1974年以来となるポップ・チャート・トップ10入りを果たして世俗音楽シーンへ復帰した。1989年にはアーサー・ベイカーのプロデュースによる「The Message Is Love」を発表し、1994年にはライル・ラヴェットとのデュエット「Funny How Time Slips Away」で9度目のグラミー賞(最優秀ポップ・コラボレーション賞)を受賞している。

同じ1994年には、クエンティン・タランティーノ監督の映画『パルプ・フィクション(Pulp Fiction)』で「Let's Stay Together」が使われ、若い世代にも再認識されるきっかけになった。2000年には自伝『Take Me to the River』を出版。2003年にはBlue Noteから『I Can't Stop』を発表してウィリー・ミッチェルとの全面的な再タッグを実現させ、2005年の『Everything's OK』でもミッチェルと共作した。さらに2008年には、ザ・ルーツのクエストラヴ(Questlove)とジェームズ・ポイザーを共同プロデューサーに迎え、ジョン・レジェンド、アンソニー・ハミルトン、コリーヌ・ベイリー・レイと共演した『Lay It Down』を発表。同作はBillboard 200で初登場9位を記録して1973年の『Livin' for You』以来最高のポップ・チャート順位となったほか、ジョン・レジェンドとの「Stay with Me (By the Sea)」等でグラミー賞2部門を受賞した。

2018年にはマット・ロス=スパングのプロデュースでフレディ・フェンダーのカヴァー「Before the Next Teardrop Falls」を発表し、2026年には英国のシンガー、レイ(RAYE)のアルバム『This Music May Contain Hope』収録曲「Goodbye Henry」に客演している。

音楽的特徴と評価・受賞歴

グリーンの音楽は、ゴスペルの熱狂とサザン・ソウルの泥臭さ、そして都会的で官能的な洗練を融合させた点に特徴がある。ウィリー・ミッチェルとともに築き上げた「ハイ・サウンド」のタイトで温かみのあるアンサンブルの上で、囁き(クルーニング/ウィスパー)から滑らかなファルセット、さらには即興的なスキャットやうなり声(グラウル)までを自在に行き来する歌唱法は、マーヴィン・ゲイ、プリンス、ディアンジェロ、マックスウェル、ジョン・レジェンドをはじめとする後のクワイエット・ストームやネオ・ソウルの系譜に大きな影響を与えた。

通算11回のグラミー賞受賞に加え、1995年にロックの殿堂(Rock and Roll Hall of Fame)入り、2002年にグラミー賞生涯業績賞(Grammy Lifetime Achievement Award)、2004年にソングライターの殿堂(Songwriters Hall of Fame)およびゴスペル音楽の殿堂(Gospel Music Hall of Fame)入りとBMIアイコン賞、2014年にはケネディ・センター名誉賞(Kennedy Center Honors)を受賞。「Let's Stay Together」と「Take Me to the River」の2曲がグラミーの殿堂入りを果たしており、『Rolling Stone』誌の「歴史上最も偉大な100組のアーティスト」(2008年)で第65位、「歴史上最も偉大な200人のシンガー」(2023年)では第10位に選出されている。また、2012年にはバラク・オバマ米大統領がニューヨークのアポロ・シアターでの演説冒頭で「Let's Stay Together」の一節を歌ったことでも大きな話題を呼んだ。

ジャンル・スタイル

Funk / Soul Funk Rhythm & Blues Soul
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