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Alberto Radiusは、1942年6月1日にローマで生まれたイタリアのギタリスト/シンガーだ。2023年2月16日にミラノ近郊のサン・コロンバーノ・アル・ランブロで亡くなっている。活動の軸はロックとポップで、特にポップ・ロックの文脈で語られることが多い。
音楽活動は1950年代後半、White Boosterで始まった。その後、Mario Perroneのオーケストラで2年間演奏し、1964年にはI Campaninoに加入している。さらにQuelliに移り、Franco Mussidaの後任を務めた。QuelliはのちにPremiata Forneria Marconi、通称PFMへと改名されるバンドで、Radiusはこの時期にギターのスタイルを固めていった。
この経歴を見ると、彼はイタリアのロックが形を作っていく最初期のバンドを渡り歩きながら、演奏者としての立ち位置を作っていった人物だ。バンドの変遷そのものが、当時のイタリア音楽シーンの流れと重なっている。
1969年、Alberto RadiusはTony Cicco、Gabriele LorenziとともにFormula 3を結成した。グループはLucio Battistiの新レーベルNumero Unoからデビューし、Battisti作の「Questo Folle Sentimento」を発表している。この曲は1970年にイタリアのチャートで5位を記録した。
Formula 3はBattistiのツアーでバックバンドも務め、Battistiはこのグループに多くの楽曲を提供した。Radius自身もセッション・ギタリストとしてBattistiの作品に深く関わっており、当時のBattistiが求めたサイケデリック・ロック寄りの質感を演奏面で支えた存在として知られている。
1972年からはソロ活動も始め、セルフタイトルのデビュー作を発表した。1974年にFormula 3が解散した後は、Mario LavezziやVince Temperaら旧Formula 3の人脈とともにIl Voloを結成している。Il Voloでは、MogolとBattistiのプロデュースのもと、地中海的な響きを持つ2枚の作品を残した。
1977年のソロ作『Carta Straccia』は代表作のひとつに数えられていて、収録曲「Nel Ghetto」はロック色の強い曲として評価されている。ソロでもバンドでも、ギターを前面に出した作りが目立つ。
Radiusの演奏は、イタリアン・ポップスとロックの接点で機能していた。特にBattisti周辺の作品では、サイケデリック・ロック的な質感を支える役割が大きい。派手に自己主張するタイプというより、曲の中でギターの音色やフレーズを組み立てていくタイプのプレイヤーとして見られている。
また、Formula 3やIl Voloの活動、ソロ作品を通して、バンド単位の演奏と個人名義の表現を行き来していた点も重要だ。ロック寄りのギターとポップスの歌ものをつなぐ立ち位置にいた、と整理しやすい。
RadiusはBattistiだけでなく、Franco Battiato、Marcella Bella、Alice、Giuni Russoらとも共演を重ねている。こうした経歴から、特定のバンドに閉じた人物というより、イタリアのポップス/ロック現場を支え続けたミュージシャンとして捉えられている。
演奏者、シンガー、ソングの現場をつなぐ人材として、長く活動した点がこの人の大きな特徴だ。作品単位でもセッション単位でも、イタリア音楽史の複数の場面に名前が出てくる。
イタリアのロックやポップスをたどると、Alberto Radiusの名前はかなり早い段階で出てくる。バンド、ソロ、セッションのどこでも仕事をしていて、その動き方自体が当時のシーンの実情を示している。