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Fela Kutiは、1938年10月15日にナイジェリアのアベオクタで生まれた音楽家だ。ジャズ、ファンク、ソウルを土台にしながら、アフロビートとジャズ・ファンクを中心に活動した。1997年8月2日に、ラゴスでAIDSと心不全により亡くなっている。
1958年、両親の意向で医学を学ぶためにロンドンへ渡ったが、その後に進路を変え、Trinity College of Musicで作曲とトランペットを学び始めた。ここで音楽の基礎を身につけていく。
1961年にはロンドンでKoola Lobitosを結成し、1963年にナイジェリアへ帰国した。1964年にはラゴスでドラマーのTony Allenと出会い、以後15年にわたってAllenがバンドの音楽監督を務めた。Fela本人は、Tony Allenがいなければアフロビートは存在しなかったと語っている。
1969年にアメリカ訪問を経てナイジェリアへ戻ると、ラゴスでクラブAfro Spotを開き、バンド名をAfrika 70に変更した。その後、1971年にはGinger Bakerと共演したアルバム『Ginger Baker Live with Afrika 70 and Fela Kuti』を発表し、翌年にはBobby GassことBobby Tenchと『Stratavarious』で共演している。
1981年には、バンド名を最後にEgypt 80へ改めた。活動の形は変わっても、Felaの構想を軸にした大編成のジャズ、ファンク、アフロビート路線は続いた。
Fela Kutiの音楽は、ジャズの演奏感、ファンクの反復リズム、アフリカ音楽の要素が組み合わさっている。長尺の曲構成、ホーンセクションの強い存在感、リズム隊の粘るようなグルーヴが特徴として挙げられる。参加メンバーも入れ替わったが、Tony Allenのような重要な演奏者が音楽の核を支えた。
作品数は77枚ほどあるとされ、アルバムごとに演奏編成や曲の長さを変えながらも、アフロビートの基本的な枠組みは保たれていた。
Felaは1978年ごろにFela Ransome-KutiからFela Anikulapo Kutiへ改名した。“Anikulapo”は「死をポーチに入れて運ぶ者」という意味を持つ。音楽活動と並行して政治的な発言も続け、ナイジェリアの汚職体制に抗議するため、自身の政党Movement Of The Peopleを立ち上げた。
ラゴスにはカラクタ共和国と呼ばれる居住地を構え、そこをナイジェリアから独立した場所として扱っていた。そこでは本人と多くの妻たちが暮らしていたが、政府からたびたび圧力を受けた。
1976年発表の「Zombie」は、上官の命令に従って動く兵士を“ゾンビ”にたとえた風刺曲だ。ナイジェリア国内で大きな反響を呼んだ一方、政府によってラジオ放送は禁止された。
この曲への報復として、1977年には政府軍約1000人がカラクタ共和国を急襲し、施設を焼き払った。この襲撃で、女性人権活動家として知られた母Funmilayo Ransome-Kutiが重傷を負い、その後亡くなっている。Fela自身も暴行を受け、重傷を負った。
Fela Kutiの影響は、ファンクとアフリカ音楽の両方で大きい。彼の名前は多くの作品に残っていて、後続のミュージシャンやバンドがアフロビートを参照する際の基準になっている。ジャズ、ファンク、ソウルの要素を使いながら、政治的なテーマを前面に出した点も、彼の音楽を語るうえで外せない。
Fela Kutiの作品を追うと、音楽の構造だけでなく、当時のナイジェリア社会や政治状況も一緒に見えてくる。演奏、発言、生活そのものが切り離せない人物として、今も多くのリスナーに参照され続けている。