Fela Anikulapo Kuti And Roy Ayers - Music Of Many Colours (1980)
Fela Anikulapo Kuti And Roy Ayers『Music Of Many Colours』について
1980年にナイジェリアのPhonodiskから出た『Music Of Many Colours』は、フェラ・クティとロイ・エアーズという、出自も活動の軸も異なる2人が同じ空気の中で交わった記録だ。フェラはアフロビートの中心人物として政治性の強い音楽を築き、ロイ・エアーズはジャズ・ファンクとヴァイブの名手として知られてきた。その接点が、ナイジェリア録音という条件のもとで形になった一枚である。
作品の核にあるのは、フェラ側のアフロビートと、ロイ・エアーズ側のジャズ・ファンクが、どちらかに寄ることなく並んでいる点だ。A面の「Africa - Centre Of The World」は、タイトルどおりアフリカの文化的中心性を前面に置いた曲で、フェラの持つ反植民地主義的な視線がそのまま音になっている。B面の「2000 Blacks Got To Be Free」はロイ・エアーズの持ち味が出た曲で、黒人解放への願いを掲げながら、ヴァイブラフォンの響きとファンキーな推進力がはっきり残る。
録音の背景もこの作品を理解するうえで重要だ。ロイ・エアーズは1979年後半、ナイジェリアでの公演を通じてフェラの音楽に本格的に触れ、その後、自身のバンドを率いてナイジェリア5都市を回る3週間のツアーを行った。その締めくくりとして、イジェブ・イグボのPhonodisk Studiosで本作が録音された。単なる客演盤ではなく、現地での滞在とツアーを経て成立した作品という点に、このレコードの輪郭がある。
当時のナイジェリアは政治的緊張が高く、フェラは軍事政権に対する批判を続ける存在だった。2年前の1977年にはカラクタ共和国が軍に急襲され、フェラの母が命を落とし、施設が焼かれる事件も起きている。そうした状況下で、ロイ・エアーズ一行がナイジェリアに滞在し、現地で音を重ねたこと自体が、この作品に独特の重みを与えている。音楽の内容だけでなく、制作された場所と時代の空気がそのまま刻まれている盤だ。
レーベルはPhonodisk、カタログ番号はPHD 003。ナイジェリア盤としての初出で、ジャケット表記にもいくつか特徴がある。フロントには「Fela Anikulapo Kuti Of Nigeria And Roy Ayers Of America」、バックには「Fela Anikulapo Kuti & His Africa'70 And Roy Ayers Of America」とあり、両者の出自を明示している。ラベル表記ではA面が「Africa Centre Of The World」、B面が「2000 Black」となっており、ジャケット表記とのわずかな違いも確認できる。
フェラにとっては、1970年代後半のアフロビートの到達点を示す時期の作品群のひとつに入る。既にアフリカ中心主義、反体制、長尺の反復リズムといった要素は確立しており、この作品でもその骨格は変わらない。一方のロイ・エアーズにとっては、ジャズやソウルの文脈をアフリカ大陸の現場へ直接持ち込んだ記録でもある。両者の活動領域がそのまま交差しているのが面白い。
同時代の文脈で見ると、アフロビートとジャズ・ファンクの接続は珍しいものではないが、この盤はその関係をかなり具体的に示している。政治的メッセージを押し出すフェラと、グルーヴと祝祭性を強く持つロイ・エアーズ。その双方が、パン・アフリカニズムという共通項で結びついている。フェラが後年まで強い影響力を保ち、ロイ・エアーズもブラック・ミュージックの広い領域で参照され続けてきたことを考えると、この1枚は両者の交差点として位置づけやすい。
音の印象としては、どちらの面も役割がはっきりしている。A面はフェラのメッセージとバンドの推進力が前に出て、B面はロイ・エアーズの旋律感とリズムの粘りが軸になる。完全に一体化した一枚というより、2人の個性が同じ盤面に並び、それぞれの輪郭を保ったまま響いている構成だ。アフロビートの政治性とジャズ・ファンクの身体性、その両方が1980年のナイジェリアで接触した記録として残る作品である。
トラックリスト
- A Africa- Centre Of The World
- B 2,000 Blacks Got To Be Free