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Jean-Michel Jarre(ジャン=ミシェル・ジャール)は、1948年8月24日にフランス・リヨンで生まれた電子音楽の作曲家だ。ジャンルはElectronicで、スタイルとしてはAmbientやSynth-popに分類されることが多い。映画音楽作曲家モーリス・ジャールの息子としても知られている。
幼少期は5歳の頃に両親が離別し、以後は母と祖父母のもとで育った。発明家でありオーボエ奏者でもあった祖父から最初のテープレコーダーを与えられたことが、音への関心につながったとされる。パリのジャズクラブでジョン・コルトレーンやチェット・ベイカーの演奏に触れた経験も、後の音楽活動に影響したようだ。
1969年には、ピエール・シェフェールが率いる音楽研究グループGRM(グループ・ド・ルシェルシュ・ミュジカル)に参加した。ここでミュージック・コンクレートの考え方を学んだことが、ジャールの制作姿勢に大きく関わっている。さらにケルンではカールハインツ・シュトックハウゼンにも師事し、モジュラーシンセサイザーの知見を得ている。
出世作としてよく挙げられるのが、1976年の『Oxygène』だ。この作品は自宅アパートの台所にアナログシンセサイザーを持ち込んで、一人で録音された。制作当初は大手レーベルから断られたが、新興レーベルのディスク・ドレイフュスが契約を引き受けたことで発売に至った。
『Oxygène』は世界で1800万枚を売り上げたとされ、ジャールの名前を国際的に広めた作品になった。電子音を中心に組み立てた楽曲が、後のアンビエントやシンセポップの文脈でも参照されている。
ジャールの活動で外せないのが、レーザーや花火を使った大規模な野外コンサートだ。音楽だけでなく、会場全体を使った演出を重視するスタイルで知られている。1979年のパリ・コンコルド広場公演、1986年のヒューストン公演、1990年のパリ・ラ・デファンス公演、1997年のモスクワ公演などは、いずれも非常に多くの観客を集めたとされる。
こうした公演の一部はギネス世界記録にも記録されている。電子音楽をスタジアム規模、都市規模へと広げた存在として扱われることが多い。
1986年には、NASAの宇宙飛行士ロナルド・マクネアがスペースシャトル・チャレンジャー号の機内で、ジャールの「Rendez-Vous VI」のサックスパートを演奏する計画があった。これは宇宙で録音された最初の音楽作品になるはずだったが、チャレンジャー号爆発事故の後、別のサックス奏者によって録音され、「Ron's piece」と改題された。この曲はチャレンジャー号の7人の宇宙飛行士に捧げられている。
また、『Musique pour supermarchés』は1枚のみの印刷で出された作品として知られている。後にフランスのアーティスト支援のためのオークションにかけられた。
ジャールは1981年、中国で公式に演奏を許された最初の西側ミュージシャンにもなっている。国や地域をまたいで大規模な公演を行ってきた点も、彼の活動の特徴だ。生涯を通じたアルバムとシングルの総売上は8000万枚に達するとされている。
ユネスコの親善大使も務めており、文化活動の面でも存在感がある。私生活では1978年から1997年までシャーロット・ランプリングと結婚していた。
Jean-Michel Jarreは、アナログシンセサイザーを使った初期作品と、レーザーや花火を組み合わせた大規模公演の両方で知られている。GRMやシュトックハウゼンのもとで学んだ経験、そして『Oxygène』の成功が、彼の活動の軸を形づくっている。電子音楽の制作とライブ演出の両面で、長く第一線にいるアーティストとして見られている。