Vinyl Record Reviews
John Lennon(ジョン・レノン/1940年10月9日 - 1980年12月8日)は、イギリス・リヴァプール出身のシンガーソングライター、ギタリスト、平和運動家。20世紀のポピュラー音楽および大衆文化の歴史を根本から変革した、不世出のアイコンである。
ザ・ビートルズの創設者にしてリーダー格であり、ポール・マッカートニーとの「レノン=マッカートニー」の作曲パートナーシップは音楽史上最も成功したコラボレーションとして知られる。1970年のビートルズ解散後は、パートナーのオノ・ヨーコとともに「プラスティック・オノ・バンド」やソロ名義で『ジョンの魂』『イマジン』など数々の名盤を発表。痛切な内省と反戦・平和への強烈なメッセージを発信し続けた。1987年にソングライターの殿堂、1994年にロックの殿堂(ソロ名義)入りを果たしている。
1956年、16歳のレノンはスキッフル・バンド「ザ・クオリーメン」を結成。翌1957年にポール・マッカートニー、続いてジョージ・ハリスンが加入し、1960年に「ザ・ビートルズ」へと発展した。ドイツ・ハンブルクのクラブ巡業やリヴァプールのキャヴァーン・クラブでの過酷なライブで腕を磨き、マネージャーのブライアン・エプスタイン、プロデューサーのジョージ・マーティンと出会う。
1962年のデビュー以降、「抱きしめたい」「シー・ラヴズ・ユー」など世界的メガヒットを連発して社会現象(ビートルマニア)を巻き起こした。当初はロックンロールを基盤とした快活なビート・ポップを量産したが、ボブ・ディランとの交流や精神的成熟を経て、「Help!」「Norwegian Wood(ノルウェーの森)」「In My Life」「Strawberry Fields Forever」「A Day in the Life」など、内省的かつ前衛的な傑作を次々と生み出し、ロックを芸術の域へと引き上げた。
1966年11月、ロンドンのインディカ・ギャラリーで前衛芸術家のオノ・ヨーコと出会ったことは、レノンの人生と芸術にとって最大の転機となった。互いに強く惹かれ合ったふたりは共同生活を始め、実験的な前衛音響作『Unfinished Music No. 1: Two Virgins』(1968年)などを発表。
1969年3月にジブラルタルで結婚したふたりは、ハネムーンの場をメディアに公開して平和を訴えるパフォーマンス「ベッド・イン(Bed-In for Peace)」を決行。ホテルの部屋で録音された「Give Peace a Chance(平和を我等に)」は世界中の反戦運動のアンセムとなった。さらにエリック・クラプトンやクラウス・フォアマンらを迎えた「プラスティック・オノ・バンド」を結成し、「Cold Turkey(冷たい七面鳥)」「Instant Karma!」など、自身のドラッグ中毒やカルマを赤裸々に描いたソリッドな傑作シングルを放った。
1970年4月にビートルズが事実上解散した後、レノンは心理学者アーサー・ヤノフの原初療法(プライマル・スクリーム)を受けた衝撃をもとに、初の本格ソロ・スタジオ作『John Lennon/Plastic Ono Band(邦題:ジョンの魂)』(1970年12月)を発表。幼少期の親の喪失、自己のトラウマ、ビートルズ神話への決別を、装飾を極限まで削ぎ落としたドラム・ベース・ピアノ(またはギター)のミニマルな編成で絶叫し、ロック史屈指の裸一貫の自己告白盤として絶賛された。
続く1971年9月、自宅アスコット・スタジオで録音された『Imagine』を発表。フィル・スペクターが共同プロデュースを手がけ、ジョージ・ハリスンがスライド・ギターで参加した本作は、前作の過酷な毒気やメッセージを流麗なメロディとストリングスで包み込み、全米・全英で1位を獲得。タイトル曲「Imagine」は、国境や宗教、所有の概念を超えた普遍的平和への賛歌として時代を超えて歌い継がれる20世紀最大のポップ・ソングとなった。また「Jealous Guy」の甘美な告白や、「How Do You Sleep?」でのポール・マッカートニーへの辛辣な攻撃など、人間レノンの複雑な多面性が鮮やかに記録されている。
1971年末、レノンとヨーコは活動拠点を米国ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジへ移した。ベトナム反戦運動の急進的活動家たちと連帯し、政治色の濃い2枚組アルバム『Some Time in New York City』(1972年)を発表。しかし反戦集会や政治的発言を危険視したニクソン米政権とFBIから監視・盗聴を受け、約4年間にわたる国外追放命令との法廷闘争を余儀なくされた(1976年に全面勝訴しグリーンカードを獲得)。
1973年秋からはヨーコとの一時的な別居生活に入り、秘書メイ・パンとともにロサンゼルスへ移住。約18ヶ月にわたるこの放蕩期は自嘲を込めて「失われた週末(Lost Weekend)」と呼ばれる。酒とドラッグに溺れながらも制作意欲は旺盛で、全米1位ヒット「Mind Games」(1973年)、エルトン・ジョンとの共演でソロ初の全米No.1シングルとなった「Whatever Gets You thru the Night(真夜中を突っ走れ)」を収めた秀作『Walls and Bridges(心の壁、愛の橋)』(1974年)、少年期のルーツに回帰した名作カバー集『Rock 'n' Roll』(1975年)を相次いで発表した。
1975年、ヨーコとの復縁を果たし、自身の35歳の誕生日に次男ショーン・レノンが誕生。レノンはレコード会社との契約満了を機に音楽ビジネスから完全に身を退き、マンハッタンのダコタ・アパートで息子の育児と家事に専念する「ハウスハズバンド(主夫)」となった。
5年間の沈黙を経た1980年夏、バミューダ諸島への航海をきっかけに創作意欲が突如として爆発。ヨーコとの対話形式による復帰作『Double Fantasy』を同年11月に発表した。「(Just Like) Starting Over」「Woman」「Watching the Wheels」など、家族への深い愛情と精神的再生をたたえた瑞々しい名曲群は世界中で歓迎された。
しかしアルバム発売からわずか3週間後の1980年12月8日夜、スタジオ作業を終えてダコタ・ハウスへ帰宅した際、狂信的なファンの凶弾に倒れ急逝。享年40。あまりにも理不尽で突然の死は全世界に途方もない衝撃と深い哀悼をもたらした。