RAH Band

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RAH Bandとは

RAH Band(ラー・バンド)は、イギリスの作曲家、編曲家、指揮者、マルチ・インストゥルメンタリストであるRichard Anthony Hewson(リチャード・アンソニー・ヒューソン)が主導するワンマン・スタジオ・プロジェクトだ。プロジェクト名は彼のイニシャル「R・A・H」に由来する。名義上は「バンド」を掲げているが、実際にはHewson自身が作曲、プロデュース、ほぼすべての楽器演奏を担うソロ・プロジェクトとして機能してきた。

1970年代後半のディスコやジャズ・ファンクを出発点に、1980年代のエレクトロ・ブギー、シンセ・ポップ、スペース・ディスコに至るまで、時代に先駆けたダンサブルなエレクトロニック・サウンドを展開。大物アーティストの壮大なオーケストラ編曲を手掛けてきた職人技と、自宅の寝室で録音機器を操る先進的なDIY精神を融合させ、「The Crunch」「Falcon」「Messages from the Stars」「Clouds Across the Moon」など、クラブ・カルチャー史に燦然と輝く名曲の数々を生み出した。

名編曲家Richard A. Hewsonのキャリアと出自

Richard A. Hewsonは1943年、イギリス・ストックポート生まれ。ギルドホール音楽院でクラシックとジャズを学び、1960年代後半からロンドンの音楽シーンで一流のアレンジャーとして頭角を現した。Peter Asherに才能を見出され、James Taylorのデビュー・アルバム(1968年、Apple Records)でストリングス編曲を手掛けたのを皮切りに、Paul McCartneyの依頼によりMary Hopkinの世界的大ヒット曲「Those Were the Days(悲しき天使)」のオーケストレーションを担当した。

さらにPhil Spectorがプロデュースを手掛けたThe Beatlesのラスト・アルバム『Let It Be』(1970年)において、Hewsonは「The Long and Winding Road」「Across the Universe」「I Me Mine」の豪華なオーケストラおよび合唱アレンジを抜擢されて担当した。McCartneyが「The Long and Winding Road」の過剰なストリングスに激怒し、ビートルズ脱退声明の直接の引き金となった歴史的事件の当事者としても知られている。

その後もBee Gees(映画『小さな恋のメロディ』サウンドトラック)、Cliff Richard、Diana Ross、Carly Simon、Supertramp、Fleetwood Mac、Jigsaw(世界的大ヒット「Sky High」)、Al Stewart、Chris Reaなど、無数のトップ・アーティストのストリングス/ブラス編曲を手掛け、英国ポップス界に欠かせない名匠としての地位を確立した。

元祖ベッドルーム・プロデューサー:「The Crunch」の衝撃(1977年)

多忙を極めるスタジオ・アレンジャー業の合間、Hewsonは自らの純粋な音楽的アイデアを形にするため、1976年にRAH Band名義での制作に着手した。

1977年に発表されたデビュー・シングル「The Crunch(ザ・クランチ)」は、自宅の寝室にフィリップス製の4トラック・オープンリールMTRを持ち込み、一人きりで多重録音された楽曲だ。近未来的な電子ディスコに聴こえるこの曲には、【シンセサイザーが一切使用されていない】。Hohnerのエレクトリック・ピアノ、ギター、ベースをワウペダルやファズ/ディストーションといったギター用エフェクターに直結し、過激に音を歪ませる(クランチさせる)手法で未知の電子音響を創出した。曲名の「The Crunch」も、その歪んだエフェクト・サウンドに由来している。

ウィンブルドンのRG Jones Studioでドラムとブラスをオーバーダビングして完成したこの曲は、パンク・ロックがロンドンを席巻していた1977年夏、Good Earthレーベルから発売されると全英シングルチャートで第6位(オーストラリアでも16位)の大ヒットを記録した。BBCの音楽番組『Top of the Pops』に出演し、ライブ・ツアーの依頼が殺到したものの、実態は寝室での一人多重録音だったためバンドとしてのツアーは行わなかった。Hewsonは、現在の「ベッドルーム・プロデューサー」の先駆者として音楽史に先鞭をつけた。

80年代ジャズ・ファンク/ブリティッシュ・ブギー黄金期(1980年〜1984年)

1980年代に入ると、RAH Bandは洗練されたインスト・ジャズ・ファンクやエレクトロ・ブギーへと路線を進化させていく。

1980年、DJM Recordsから発表された軽快なインスト・ナンバー「Falcon」が全英35位を記録し、ロンドンのクラブ・シーンやジャズ・ファンク・フロアで熱烈なアンセムとなった。1981年には1stアルバム『The Crunch & Beyond』、2ndアルバム『RAH Band』を相次いで発表。「Slide」「Perfumed Garden」「Sam the Samba Man」など、卓越したアレンジ力と強靭なグルーヴが同居するダンス・トラックを次々に送り出した。

1983年の3rdアルバム『Going Up』のオープニングを飾った「Messages from the Stars」は、コズミックなシンセ・ベースと哀愁漂うメロディが融合した80sエレクトロ・ブギー屈指の傑作となった。リリースから約40年を経た2020年代、この楽曲はTikTok上でSped-up(倍速)バージョンが世界的なバイラル・ヒットを記録。ストリーミング再生数が数億回規模に達し、世界中の若いリスナーを巻き込んでアナログ盤が再プレスされる異例のリバイバル現象を巻き起こした。

スペース・シンセ・ポップの金字塔「Clouds Across the Moon」(1985年)

1985年、RCAからリリースされたアルバム『Mystery』からの先行シングル「Clouds Across the Moon(月に架かる雲)」は、全英シングルチャート第6位を記録し、オランダ、スウェーデン、オーストラリアなど世界各国のチャートでトップ10入りを果たす大ヒットとなった。

この楽曲は「火星で100年におよぶ宇宙戦争が続く未来」を舞台にしたSFラヴ・ストーリーだ。火星の前線基地に駐屯する宇宙飛行士の夫へ、地球に残された妻が遠距離宇宙電話(通話料564万ポンド40ペンス)をかけるという切なくドラマチックな設定で描かれている。妻Liz Hewson(リズ・ヒューソン、通称Dizzy Lizzy)による物憂げでアンニュイなヴォーカル、無機質な宇宙電話オペレーターの自動音声アナウンス、ボコーダー、そしてHewsonの本領である壮美なストリングス・アレンジが一体となり、スペース・ディスコ/シンセ・ポップ史に残る不朽のマスターピースとして絶賛された。

後世への影響と世界的再評価

1990年代以降、RAH Bandの音源はアシッド・ジャズ、レア・グルーヴ、ハウス・ミュージック、バレアリック・シーンのトップDJたちによって熱狂的に再評価されてきた。

日本でも渋谷系やクラブ・ミュージック界隈で深く愛され、1995年には元電気グルーヴ/ピチカート・ファイヴの砂原良徳(Yoshinori Sunahara)がソロ・デビュー・アルバム『CROSSOVER』で「Clouds Across the Moon」をカヴァー。1999年にはドイツの気鋭ハウス・デュオTiefschwarzがリミックスを手掛け、2007年にはHewson自身が新世代ヴォーカルを迎えた「Clouds Across the Moon '07」を発表した。

世界的な大物アーティストたちを支えた一流アレンジャーとしての確かな音楽理論と、自宅スタジオで機材と戯れながら未来的なダンス・ビートを紡ぎ出したDIY精神。その両方を併せ持つRichard A. Hewsonの特異なクリエイティビティは、現代のヴェイパーウェイヴ、シティ・ポップ、モダン・ファンクの文脈でも再発見され、世代や国境を超えて愛され続けている。

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