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Sun Ra(サン・ラー)は、1914年5月22日にアラバマ州バーミングハムで生まれ、1993年5月30日に同地で亡くなったアメリカのジャズ作曲家、ピアニスト、バンドリーダーだ。生まれ名はHerman Poole Blountで、1952年10月20日にLe Sony'r Raへ改名し、その後「Sun Ra」として活動した。
ジャンルはジャズを中心に、ファンク/ソウルの領域にもまたがる。音楽面ではフリー・インプロヴィゼーション、モーダル・ジャズ、電子キーボードやシンセサイザーの早い時期の導入で知られる。
若い頃からピアノの腕は高く、11歳の時点で譜面を読みながら作曲もできたとされる。10代には地元のジャズや他のバンドで半職業的に演奏し、1934年には高校の生物教師だったAida Harperが企画したバンドで、本格的な音楽活動を始めた。Harperがニューヨークへ移った後はBlountがそのバンドを引き継ぎ、Sonny Blount Orchestraと名付けている。
1936年から1937年ごろ、深い瞑想中に土星へ連れて行かれ、宇宙から来た存在から「音楽で平和を説く使命」を託されたと本人は語った。この体験が、その後の世界観の土台になったとされる。彼は家族の家の一階を音楽のための空間にし、演奏家が出入りしながら宗教や神秘思想について語り合える場として使っていた。
1945年にシカゴへ移ると、同地のアフリカ系アメリカ人による政治的な熱気の影響を受けた。ここでLe Sony'r Raを名乗り、やがてSun Raへ短縮して活動するようになる。シカゴ時代には複数のミュージシャンと仕事をしながら、1952年にはドラマーのPat Patrick、サックス奏者のPhil Cohranとトリオを組み、のちのArkestraの初期形を作った。
1950年代半ばには、Alton Abrahamとともに独立レーベルSaturnを設立した。ここではSun Ra本人や周辺のアーティストの45回転シングルが中心に扱われた。最初のアルバムは1957年に別の独立レーベルから出ている。
1950年代後半になると、Sun Raとバンドはエジプト風の衣装や、SFを思わせるヘッドギアを身につけるようになった。この見た目は後に「アフロフューチャリズム」の初期例として位置づけられている。音楽だけでなく、ダンスや演劇的な要素も含めた総合的な表現として機能していた。
この世界観は、1960年代のアフリカ系アメリカ人の文化的・政治的な意識の高まりとも重なっていた。ジャズの中でアフリカ的ルーツを強調し、黒人史への誇りを前面に出した点も、Sun Raの活動を理解するうえで重要だ。
1961年秋にグループはニューヨークへ移り、メンバーは生活費を抑えるため共同生活を送った。1960年代半ばには、彼らはレキシントン・アベニューのクラブで定期的に演奏していたとされる。この時期から、ビート世代や初期サイケデリアの支持者の間で注目が広がり、ニューヨークのジャズ界からも評価を受けるようになった。
1968年、借りていた建物が売りに出されたことをきっかけに、Sun RaとArkestraはフィラデルフィアのジャーマンタウン地区へ移った。Morton StreetのSun Ra houseは、彼の死までArkestraの拠点として使われた。同年にはアメリカ西海岸ツアーも行い、その後『Rolling Stone』誌の表紙を飾っている。
1970年からはフランス、ドイツ、イギリスなどで海外ツアーも始まり、その後30年ほど、演奏と録音の活動は途切れず続いた。1990年に脳卒中を起こした後も、Sun Raは作曲、演奏、バンドの指揮を続けた。
Sun Raの音楽は、フリー・ジャズの枠に入れられることが多い一方で、モーダル・ジャズ、電子音、ファンク的なリズム、コール・アンド・レスポンス、ビッグバンド編成の要素まで含んでいる。早い時期から電子キーボードやシンセサイザーを使っていた点も特徴だ。
代表的な作品としては、1973年のアルバムおよび1974年公開の同名映画『Space Is the Place』がある。19人編成の「インターギャラクティック・インフィニティ・アーケストラ」を率いたこの作品では、不穏なモーグ・シンセサイザー、サックスの強い音、June Tysonのヴォーカルが重なり合う21分の表題曲がよく知られている。
Sun Raの活動は、没後もさまざまなアーティストに影響を残している。たとえば、Erykah Baduのアンク十字のジュエリーやファッション、詩人Saul WilliamsのSFモチーフを持つ作品には、Sun Raの表現の残響が見られる。
ジャズの歴史の中では、前衛性だけでなく、思想、演出、編成、独立レーベル運営まで含めて動いた存在として参照されている。音楽そのものに加えて、どのように世界観を組み立てて見せるかという点でも、かなり独自の足跡を残したアーティストだ。