Syl Johnson

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Syl Johnson

Syl Johnsonとは

Syl Johnson(シル・ジョンソン)は、1936年7月1日にミシシッピ州ホリー・スプリングス近郊で生まれ、2022年2月6日に85歳で亡くなった、アメリカのソウル/ファンク/ブルース・シンガー、プロデューサーです。ブルース・ギタリストのジミー・ジョンソンは兄弟にあたります。

活動のはじまり

1950年代のジョンソンは、マジック・サム、ビリー・ボーイ・アーノルド、ジュニア・ウェルズ、ハウリン・ウルフといったブルース系アーティストと共演していました。1959年にはジミー・リードのレコーディングにも参加し、同じ年にフェデラル・レコードからソロ・デビューしています。デビュー時にはフレディ・キングがギターで参加していました。

シカゴでのヒット期

1960年代半ばからは、シカゴのトゥインナイト・レコードで録音を重ねます。1967年の「Come On Sock It to Me」が最初のヒットになり、以後はシンガーとしてだけでなくプロデューサーとしてもレーベルの中心的な存在になりました。同じ時期の「Different Strokes」も代表曲として知られています。

この時期のジョンソンは、恋愛曲だけでなく、黒人としてのアイデンティティや社会問題を扱った楽曲も発表しています。「Is It Because I’m Black」は1969年にR&Bチャートで11位を記録しました。ソウル・シンガーとしての活動の中で、当時の社会状況を反映した曲を残している点が特徴です。

Hi Recordsでの活動

1971年、ウィリー・ミッチェルの誘いでハイ・レコードへ移籍します。メンフィスでハイのハウス・バンドとともに3枚のアルバムを制作し、「We Did It」「Back for a Taste of Your Love」などのヒットを出しました。

1975年の「Take Me to the River」は、ジョンソンにとって最大のヒットとなり、R&Bチャートで7位を記録しています。ハイ時代の作品は、メンフィス録音らしいバンド感のある演奏と、ソウルの流れを押さえた構成でまとまっています。一方で、商業的には同じレーベルのアル・グリーンの存在が大きく、ジョンソンはその影に入る場面もありました。

自主レーベルと活動の変化

ハイ・レコードでの時期が終わった後は、自主レーベルのShamaから2枚のLPを制作しています。そのうち1982年の『Ms. Fine Brown Frame』はBoardwalk Recordsによる配給となり、タイトル曲が最後のヒットになりました。

1980年代半ばごろからは、フィッシュ・レストランの経営に軸足を移し、演奏活動は控えめになりました。ブルース・クラブでの単発出演は続けていたものの、音楽活動の比重は以前より小さくなっています。

ヒップホップへの影響

1992年、ジョンソンは「Different Strokes」がウータン・クラン、MCハマー、ゲトー・ボーイズ、デ・ラ・ソウルなど複数のラッパーにサンプリングされていたことを知り、音楽活動への復帰を決めます。ヒップホップで多く参照された曲として知られ、彼の過去の録音が後年の作品に使われていたことが、再始動のきっかけになりました。

その後、1994年にデルマーク・レコードから『Back in the Game』を発表しています。このアルバムにはハイ時代のリズム隊に加え、娘のシリーナ・ジョンソンも参加しています。

音楽面でのポイント

  • ブルースの現場から出発し、ソウル、ファンクへつながる活動歴を持つ
  • シカゴとメンフィス、2つの主要なソウルの拠点で録音している
  • 「Is It Because I’m Black」など、社会的なテーマを扱う楽曲がある
  • 「Take Me to the River」は代表曲のひとつとして広く知られている
  • 「Different Strokes」はヒップホップで多数サンプリングされた

現在から振り返ると

Syl Johnsonは、ブルースの現場で経験を積み、シカゴのソウル・シーンでヒットを出し、メンフィスでさらに代表作を残した人物です。歌手としてだけでなくプロデューサーとしても活動し、後年はヒップホップ側からも強く参照されました。録音の時期ごとに役割がはっきりしているので、作品を追っていくと活動の変化が見えやすいアーティストです。

ジャンル・スタイル

Funk / Soul Soul
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