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The Dave Brubeck Quartetは、1951年にピアノのDave BrubeckとサックスのPaul Desmondを中心に始まったジャズ・カルテットだ。活動の核になった時期は1950年代から1960年代で、1967年にいったん解散し、1976年には結成25周年の機会に再び顔をそろえた。後年も「The Dave Brubeck Quartet」という名前は、Brubeckが率いる別編成でも使われている。
BrubeckとDesmondの関係は、1944年にさかのぼる。二人はともに従軍していた時期があり、Brubeckが所属先を探してDesmondの軍楽隊のオーディションを受けた際、Desmondがそのコード進行に注目したのが最初の接点とされている。除隊後はいったん別々の道を歩み、Brubeckは1946年にDave Brubeck Octetを結成したが、商業的には大きく伸びなかった。その後、DesmondがBrubeckのトリオ演奏を聴いて合流を志願し、さらに1951年、Brubeckがダイビング事故で療養していた時期に「これでようやくカルテットを始められるかもしれない」とDesmondが手紙を送ったことが、正式始動の直接のきっかけになった。
このグループには、時期によって複数の演奏者が参加している。中心人物はDave BrubeckとPaul Desmondで、ベーシストやドラマーも入れ替わりながら活動した。
The Dave Brubeck Quartetは、ジャズの中でもクール・ジャズに分類されることが多い。Brubeckのピアノは、整ったフレーズを積み上げるだけでなく、拍子やコードの組み立てに工夫があることで知られている。Desmondのサックスは、細めの音色と抑えた吹き方が特徴として語られることが多い。カルテットとしては、ピアノとサックスのやり取りが前面に出る場面が多く、リズム隊がその土台を支える形で機能していた。
このバンドは、演奏の中で変拍子や変則的な構成を扱う場面でも知られる。Brubeckの作曲とアレンジの方向性は、当時のジャズの標準的な進め方とは少し違う部分があり、その点がグループの個性になっていた。
1958年に黒人ベーシストのEugene Wrightが加入すると、バンドは人種統合編成として活動した。これは当時のアメリカ南部ではかなり難しい状況を伴った。1960年には南部の大学25公演のうち23公演で、Wrightを白人奏者に差し替えるか、観客を人種で分離するかという条件が提示され、Brubeckがそれを拒否したため公演中止になり、4万ドルの損失を出している。
南部以外でも、ミネアポリスやソルトレイクシティでホテル宿泊を断られるなど差別を受けた記録がある。一方で、ある大学公演では「Wrightを目立たせない」という条件をいったん受け入れつつ、本番ではステージ前面に呼んでソロを取らせ、観客が熱狂したことで、学生たちが大学側に黒人演奏者の出演禁止措置の撤回を求める動きにつながったという逸話も残っている。
The Dave Brubeck Quartetは、クール・ジャズの代表的なグループとして扱われることが多い。BrubeckとDesmondの組み合わせは、ピアノとアルト・サックスの関係を軸にしたカルテットの形を広く印象づけた。演奏面だけでなく、Eugene Wrightを含む統合編成で活動した事実も、このグループの歴史を語るうえで外せない。
また、Brubeckが南部での条件付き公演を拒否したことは、音楽活動と社会状況が直接ぶつかった例として記録されている。音楽そのものの特徴と、こうした実際の行動の両方が、このカルテットの存在感を形づくっている。