Vinyl Record Reviews
Blondie(ブロンディ)は、1974年にニューヨークでヴォーカルのデボラ・ハリー(Deborah Harry)とギタリストのクリス・スタイン(Chris Stein)を中心に結成されたアメリカのロック・バンドだ。伝説的クラブ「CBGB」や「マキシズ・カンザス・シティ」を拠点に、ラモーンズ、トーキング・ヘッズ、パティ・スミス、テレヴィジョンらと共にニューヨーク・パンク/ニューウェイヴ・ムーブメントの中心を担った。
バンド名は、プラチナブロンドのデボラ・ハリーが街中でトラック運転手から「Hey, Blondie!」と呼びかけられた体験に由来する。1976年にセルフタイトルのデビュー作『Blondie』を発表以降、パンクの攻撃的な瞬発力と60年代ガールズ・グループ直系のバブルガム・ポップの甘美さを融合。さらにディスコ、レゲエ、ヒップホップなどの最先端ブラック・ミュージックを大胆に呑み込み、1970年代末から1980年代初頭にかけて世界中を席巻するポップ・ミュージック史の金字塔を打ち立てた。
前身バンドであるThe Stilettosで出会ったデボラ・ハリーとクリス・スタインの2人は、1974年にBlondieを結成。翌1975年には、キース・ムーン(The Who)譲りのアグレッシヴなドラミングでバンドの疾走感を決定づけたクレム・バーク(Clem Burke)と、洗練された鍵盤ワークでポップな色彩をもたらしたキーボードのジミー・デストリ(Jimmy Destri)が加入し、黄金期のコア・メンバーが整った。
1976年にインディー・レーベルPrivate Stock(直後にChrysalis Recordsが権利を獲得し再発)からデビュー作『Blondie』をリリース。1978年の2ndアルバム『Plastic Letters』では、ランディ&ザ・レインボウズのオールディーズ・カバー「Denis」が全英シングルチャート2位を記録する。母国アメリカに先行してイギリスやオーストラリアで熱狂的な支持を集めたことは、彼らがグローバルな成功へ向かう大きな足がかりとなった。
1978年、バンドはスウィートやスージー・クアトロを手掛けた名プロデューサー、マイク・チャップマン(Mike Chapman)を起用し、3rdアルバム『Parallel Lines』を発表する。このアルバムから生まれた「Heart of Glass」が全米・全英をはじめ世界各国のチャートで1位を獲得し、ブロンディの名は一躍世界的なものとなった。
「Heart of Glass」は、バンドが結成初期の1974年から「The Disco Song」と呼んで温めていたアイデアをベースに、ドナ・サマーとジョルジオ・モロダーによる電子ディスコの金字塔「I Feel Love」に強い衝撃を受けて完成させたナンバーだ。当時、硬派なパンク・ファンからは「ディスコへのセルアウト」と激しい非難を浴びたものの、機械的なシンセサイザー・ビートと躍動するロック・アンサンブルの融合は、ロックとダンス・ミュージックの境界線を完全に打ち破った。
『Parallel Lines』からは他にも「One Way or Another」「Picture This」、ザ・ナーヴスのカバー「Hanging on the Telephone」などパワーポップ屈指の名曲が次々と生まれ、全世界で2,000万枚以上のメガヒットを記録。翌1979年には4thアルバム『Eat to the Beat』をリリース。「Dreaming」やディスコ・ロック「Atomic」などのヒットを連発すると同時に、全収録曲のプロモーションビデオを制作した先駆的な長編ビデオ・アルバムを発表し、MTV時代の到来をいち早く予見させた。
1980年、映画『アメリカン・ジゴロ』のサウンドトラックとして、ディスコの巨匠ジョルジオ・モロダーとデボラ・ハリーが共作した「Call Me」をリリース。全米ビルボードチャートで6週連続1位を記録し、同年の全米年間シングルチャート1位に輝く世界的メガヒットとなった。
同年発表の5thアルバム『Autoamerican』では、その越境性と実験精神が頂点に達する。ジャマイカのザ・パラゴンズによるロックステディの名曲を軽やかにカバーした「The Tide Is High(夢みるNo.1)」が全米・全英で1位を獲得。さらに、ファンキーなニューウェイヴ・ディスコに乗せてデボラがクールなラップを披露した「Rapture」も全米1位を達成した。
「Rapture」は、白人バンドによるメジャー作品として、またビルボードHot 100で首位に立った史上初のラップ楽曲として音楽史に永遠に刻まれている。歌詞にはファブ・ファイヴ・フレディやグランドマスター・フラッシュへのリスペクトが織り込まれ、ミュージックビデオには撮影に来られなかったフラッシュの代役として、当時まだ無名だったストリート・アーティストのジャン=ミシェル・バスキアがDJ役として出演したことでも名高い。ブロンディは単なる流行の拝借ではなく、ニューヨークのダウンタウンで同時多発的に芽吹いていたヒップホップ/グラフィティ・カルチャーに深い敬意を払い、それを世界規模のメインストリームへと橋渡ししたのだった。
1982年に6thアルバム『The Hunter』を発表するも、過酷なツアーの連続による疲弊、マネジメントとの金銭トラブル、そして何よりクリス・スタインが自己免疫疾患の難病「尋常性天疱瘡(Pemphigus vulgaris)」を発症したことが決定打となり、バンドは1982年11月に事実上解散した。
デボラ・ハリーは自身のソロキャリアを一時中断し、数年間にわたってパートナーであるスタインの献身的な看護に専念した。スタインが奇跡的な回復を遂げた後、デボラはソロ活動を再開するとともに、ジョン・ウォーターズ監督の映画『ヘアスプレー』(1988年)など女優としても独自の存在感を発揮した。
解散から15年の時を経た1997年、デボラ、クリス、クレム、ジミーの4人が集結し、正式にBlondieを再結成。1999年に17年ぶりのスタジオ・アルバム『No Exit』をリリースする。ジミー・デストリが作詞・作曲を手掛けた先行シングル「Maria」は、往年の躍動感と洗練されたモダン・ロックが見事に融合したアンセムとなり、全英シングルチャート1位を獲得。「Heart of Glass」からちょうど20年後に再び全英チャートの頂点に返り咲くという、ロック史上稀に見る劇的なカムバック劇を成し遂げた。
2006年には「ロックの殿堂(Rock and Roll Hall of Fame)」入りを果たし、その功績が不朽のものとして称えられた。その後も『The Curse of Blondie』(2003年)、『Panic of Girls』(2011年)、『Ghosts of Download』(2014年)、そしてシーア、ジョニー・マー、ブラッド・オレンジ、ニック・ヴァレンシ(The Strokes)ら多彩なゲストが楽曲提供した『Pollinator』(2017年)と精力的に新作を発表。70代を迎えてなお、現役のライブ・バンドとして世界中のフェスティバルやアリーナで観客を熱狂させ続けている。
Blondieの最大の革新性は、「ロック・バンド」というフォーマットを保ちながら、パンク、ディスコ、ニューウェイヴ、レゲエ、ラップといった対立しがちだったジャンルをシームレスに横断・融合させたハイブリッド感覚にある。キャッチーなメロディとシャープな演奏力を両立させたそのサウンドは、後のオルタナティヴ・ロックやエレクトロ・ポップ、ダンス・パンクの明確な原型となった。
また、フロントウーマンであるデボラ・ハリーの存在感はポップ・カルチャー全般に計り知れない足跡を残した。アンディ・ウォーホルに肖像画を描かれ、「マッド・クラブ(Mudd Club)」や「Studio 54」などニューヨークのアート/ナイトライフの中心にいた彼女のプラチナブロンド、ヴィンテージとハイファッションを自在に着こなすスタイル、そして媚びることのないタフで自立したアティテュードは、女性ロックスターのステレオタイプを刷新した。その強い美学と影響力は、マドンナをはじめ、グウェン・ステファニー(No Doubt)、シャーリー・マンソン(Garbage)、カレン・O(Yeah Yeah Yeahs)、レディー・ガガに至るまで、世代を超えて受け継がれている。
Blondieの核となったのは、稀代のヴォーカリストであるデボラ・ハリーと、音楽的ディレクションと楽曲制作を一手に担ったクリス・スタイン、圧倒的なスピードとテクニックでバンドを牽引したドラマーのクレム・バーク、そして数々の名曲を書き下ろしたキーボーディストのジミー・デストリの4人である。
初期のベースを担ったゲイリー・ヴァレンタイン(Gary Valentine)の脱退後は、ベーシストのナイジェル・ハリソン(Nigel Harrison)とギタリストのフランク・インファンテ(Frank Infante)が加わり、6人編成として『Parallel Lines』以降の黄金期を支えた。再結成以降は、長年ベーシストを務めるリー・フォックス(Leigh Foxx)やキーボードのマット・カッツ=ボーヘン(Matt Katz-Bohen)、さらにツアーでは元セックス・ピストルズのグレン・マトロック(Glen Matlock)がサポートを務めるなど、時代に応じた編成で強固なアンサンブルを維持し続けている。