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Genesisは、1967年にイングランド南東部サリー州ゴダルミングのチャーターハウス校で結成されたロック・バンドだ。メンバーにはピーター・ガブリエル、フィル・コリンズ、スティーヴ・ハケット、マイク・ラザフォード、トニー・バンクスらが名を連ねる。プログレッシヴ・ロックを軸にしながら、ソフト・ロック、ポップ・ロック、サイケデリック・ロック、アート・ロックまで活動の中で広く行き来してきた。
アルバム売上は1億枚から1億5000万枚規模とされ、ロック史の中でも大きな実績を持つグループのひとつだ。2010年にはロックの殿堂入りも果たしている。
Genesisは、同じ学校で活動していた複数のバンドが合流して生まれた。ピーター・ガブリエル、トニー・バンクス、クリス・スチュワートらの「Garden Wall」と、アンソニー・フィリップス、マイク・ラザフォードらの「Anon」が母体になっている。そこに卒業生のジョナサン・キングが関わり、バンド名として「Genesis」が付けられた。キング自身のプロデューサーとしてのキャリアの「始まり」を意味する名前だったという。
1969年にはデビュー作『From Genesis to Revelation』を発表しているが、アメリカに同名バンドがいたため、ジャケットではバンド名が外されていた。こうした初期の事情も含めて、活動の立ち上がりはかなり特殊だ。
1970年3月、トニー・ストラットン=スミスのカリスマ・レコードとレコード契約とマネジメント契約を結んだ(当初の報酬は週10ポンド)。同年、『Trespass』の録音後にアンソニー・フィリップスが舞台恐怖症や体調不良を理由に脱退。1970年8月にメロディ・メイカー誌の募集広告を見たフィル・コリンズがドラマーとして加入し、1971年1月には同じく広告を通じてスティーヴ・ハケットが参加して、いわゆる黄金期の5人編成が固まった。
この時期のGenesisは、複雑な曲構成、長尺の組曲、細かく組み立てられたアンサンブルで知られる。『Nursery Cryme』(1971年)、『Foxtrot』(1972年)、『Selling England by the Pound』(1973年)、『The Lamb Lies Down on Broadway』(1974年)と続く流れで、プログレッシヴ・ロックの代表格として見られるようになった。『Nursery Cryme』には、コリンズが初めてリード・ボーカルをとった「For Absent Friends」が収められている。『Foxtrot』は全英12位で初のチャート入りを果たし、イタリアでは1位を記録した。
とくに『Foxtrot』に収録された「Supper's Ready」は23分に及ぶ組曲として知られ、『Selling England by the Pound』では「I Know What I Like」がバンド初の全英トップ30入りを記録した。『The Lamb Lies Down on Broadway』は物語性の強い2枚組作品で、レエルという人物の旅を描いている。
Genesisの初期を語るうえで、ピーター・ガブリエルのステージ演出は外せない。1972年のダブリン公演では、妻の赤いドレスとキツネの頭をつけて登場したというエピソードが残っている。その後も「The Musical Box」での老人の仮面、「Watcher of the Skies」での蛍光メイクやコウモリの翼のマントなど、衣装と演劇的な演出がライヴの大きな要素になった。
ピーター・ガブリエルは『The Lamb Lies Down on Broadway』ツアー中に脱退を表明し、1975年8月に正式にバンドを離れた。脱退の声明「Out, Angels Out」では、音楽業界への幻滅や家族との時間を理由に挙げている。バンクスは、ガブリエルが「バンドにとって大きくなりすぎ」「彼が中心人物であるかのように扱われていた」と振り返っている。後任探しのために匿名の広告を出すと約400通の応募があったが、決め手が見つからず、結果としてフィル・コリンズがリード・ボーカルを兼ねる形になった。
この編成で出た『A Trick of the Tail』(1976年)は、コリンズが歌うGenesisの出発点になった。1976年のツアーではビル・ブルーフォード、1977年以降はチェスター・トンプソンがサポート・ドラマーを務めている。
その後、スティーヴ・ハケットも『Wind & Wuthering』(1976年)のツアー後の1977年、自分の創作をもっとコントロールしたいとして脱退し(本人は「自分ひとりでどこまでやれるか確かめたかった」と語っている)、1978年の『...And Then There Were Three...』からは、バンクス、ラザフォード、コリンズの3人体制になる。この作品からは「Follow You Follow Me」が全英7位、全米23位のヒットになった。以後、ライヴではダリル・ステューマーがギターとベースを支えた。
1980年代に入ると、Genesisはよりポップ寄りのサウンドで大きく成功する。『Duke』(1980年)で初の全英1位を獲得し、『Abacab』(1981年、全英1位・全米7位)、『Genesis』(1983年、全英1位。「Mama」が全英4位)、『Invisible Touch』(1986年)、『We Can't Dance』(1991年)へと続く流れで、商業的なピークを迎えた。
とくに『Invisible Touch』はバンド最大のセールスを記録した作品とされ、タイトル曲は全米1位を獲得している。「Throwing It All Away」「In Too Deep」「Land of Confusion」「Tonight, Tonight, Tonight」と合わせて、1枚のアルバムから5曲が全米トップ5に入った初のバンド、初の海外アーティストになった。
この時期は、フィル・コリンズのソロ活動も並行して進み、ピーター・ガブリエルもソロで評価を高めていた。マイク・ラザフォードはMike + The Mechanicsを始め、トニー・バンクスもソロ作品を出している。メンバーそれぞれの活動が広がりつつ、Genesis本体はより広い層に届くサウンドへ寄っていった。
1996年にフィル・コリンズが脱退し、レイ・ウィルソンを迎えた『Calling All Stations』(1997年)が最後のスタジオ・アルバムになった。ただ、この作品は評価やセールスの面で厳しく、バンドはしばらく活動休止に入る。
その後、2006年にはコリンズ、バンクス、ラザフォードの3人で再編し、『Turn It On Again』ツアーを実施した。2007年にはローマのチルコ・マッシモで無料公演も行っている。70年代から支えてくれたイタリアのファンへの感謝を込めたもので、その模様は映像作品『When in Rome 2007』になった。2010年3月には、フィッシュ(Phish)のトレイ・アナスタシオがプレゼンターを務めてロックの殿堂入りを果たした。
さらに2021年から2022年にかけて「The Last Domino?」ツアーが行われたが、体調面の事情もあり、フィル・コリンズは座って歌い、ドラムは息子のニック・コリンズが担当した。2022年3月26日のロンドンO2アリーナ公演が最後のステージになっている。この日は、コリンズがボーカリストとして初めてステージに立ってから46年目にあたり、会場にはガブリエルも姿を見せた(演奏はしていない)。
Genesisの初期は、クラシック音楽の影響を感じさせる構成の複雑さ、長い展開、トニー・バンクスのキーボード、マイク・ラザフォードの12弦ギターやダブルネック・ギターによる重なりが目立つ。楽曲単位でもアルバム単位でも、細かく組み立てられた印象が強い。
一方で80年代以降は、構成のわかりやすさやメロディの前に出し方がはっきりしていく。プログレッシヴ・ロックのバンドとして始まりつつ、ポップ・ロックの大きな成功例にもなったところがGenesisの特徴だ。
Genesisは、マリリオンなどのネオ・プログレッシヴ・ロックのバンドや、ドリーム・シアター、アイアン・メイデンのようなメタル勢にも影響を与えたとされる。ラッシュのニール・パートが『Selling England by the Pound』でのフィル・コリンズのドラムを高く評価していたことも知られている。
初期のプログレッシヴな作り込みと、後期の大衆性の両方を持っている点で、Genesisは単に「長く続いたバンド」というだけでは収まらない。時期ごとに音の性格がかなり変わりながら、それでも同じバンドとして追いかけられてきたところに、このグループの面白さがある。