Vinyl Record Reviews
Metallicaは、1981年にロサンゼルスで結成されたアメリカのヘヴィメタル・バンドだ。中心になったのはジェイムズ・ヘットフィールドとラーズ・ウルリッヒだ。デンマーク出身のウルリッヒがロサンゼルスの情報紙『The Recycler』にメタル仲間を募る広告を出し(好きなバンドにはTygers of Pan Tang、Diamond Head、Iron Maidenを挙げていた)、それに応えたのがヘットフィールドだった。2人の出会いから5か月後の1981年10月28日にバンドが正式に結成されている。バンド名は、ファンジンの名前を考えていた友人Ron Quintanaの候補の中にあったものだ。「Metallica」を気に入ったウルリッヒは、Quintanaにもう一方の候補「MetalMania」を使うよう勧め、自分たちで「Metallica」をもらった。
初期のメンバーは何度か入れ替わっていて、デイヴ・ムステイン、ロン・マクガヴニー、クリフ・バートン、カーク・ハメットらが加わりながら、活動の土台が固まっていった。
1982年、Metallicaはコンピレーション『Metal Massacre』に「Hit the Lights」で参加する。ウルリッヒがMetal Blade RecordsのBrian Slagelに頼み込んで得た枠だったが、1982年6月の初回プレスではバンド名が「Mettallica」と誤植され、メンバーを怒らせた。リード・ギターには、広告に応募してきたデイヴ・ムステインが加わった。高価な機材を持っていたことも採用の理由のひとつだったという。1982年末には、Traumaでのワウペダルのプレイにほれこんだクリフ・バートンを迎え、彼の希望でベイエリアに拠点を移している。
Megaforce RecordsのJon Zazulaが借金をしてデビュー作の録音費用を出し、バンドはニューヨークへ向かった。しかし1983年4月11日、薬物と酒の乱用、暴力的な振る舞いを理由にムステインは解雇され、同じ日にExodusのカーク・ハメットが後任となる。ムステインはのちにMegadethを結成し、ハメットに仕事を「盗まれた」と語っている。そして1983年にはデビュー作『Kill 'Em All』を発表した。当初は『Metal Up Your Ass』というタイトルで録音されていたが、流通業者に拒まれて変更された。
1984年の『Ride the Lightning』、1986年の『Master of Puppets』で、Metallicaの名前は一気に広がった。『Ride the Lightning』はコペンハーゲンで録音され、印刷ミスで緑色のジャケットが存在し、今ではコレクターズ・アイテムになっている。1984年9月のライヴを観たElektraのMichael AlagoとQ PrimeのCliff Burnsteinがバンドと契約し、1985年8月には英ドニントンのMonsters of Rockで約7万人の前で演奏した。1986年3月3日の『Master of Puppets』は全米29位を記録して72週にわたってチャートに残り、同年11月にゴールドに認定された。AllMusicのSteve Hueyは「バンドの最高の達成」と評している。
1986年9月27日、Damage, Inc. Tourのヨーロッパ・ツアー中のことだった。バスの寝台をカードで決めることになり、勝ったクリフ・バートンはハメットの寝台を選んだ。その夜、スウェーデンのドーラルプ付近でバスがスリップして横転し、下敷きになったバートンは命を落とした。後任のベーシストには、Les Claypoolを含む約40人がオーディションを受け、Flotsam and Jetsamのジェイソン・ニューステッドが選ばれた。新入りの彼は、わさびを食べさせられるなどの「洗礼」を受けている。1987年のEP『Garage Days Re-Revisited』を経て、1988年には『...And Justice for All』が発表された。
『...And Justice for All』は初めて全米トップ10(6位)に入った作品だが、ベースがほとんど聞こえないミックスは批判された。1989年のグラミー賞では本命と目されながら受賞はJethro Tullに渡り、Entertainment Weeklyはのちにこれをグラミー史上屈指の番狂わせに挙げている。初のミュージック・ビデオ「One」では、映画『ジョニーは戦場へ行った』の映像の権利をバンドが買い取って使った。
1991年のセルフタイトル作『Metallica』、通称ブラック・アルバムは、Metallicaの代表作として広く知られている。Bob Rockがプロデュースを担当し、3度ミックスし直され、制作費は約100万ドルに上った。10か国で初登場1位となり、アメリカでは初週65万枚を売り上げ、16×プラチナに認定されている。1992年8月8日には、モントリオール・オリンピック・スタジアムでヘットフィールドが火薬の炎で大やけどを負った。ニューステッドは彼の皮膚が「泡立っていた」と振り返っている。ヘットフィールドは17日後に復帰し、その間はJohn Marshallがギターを代わりに弾いた。
1996年の『Load』、1997年の『Reload』では、オルタナティブ・ロックやハードロック寄りの要素が強くなった。『Load』は初登場1位となったが、Andres Serranoの作品を使ったジャケットと音楽性の変化はファンの意見を二分した。カバー集『Garage Inc.』(1998年)を経て、1999年にはサンフランシスコ交響楽団との共演作『S&M』も発表し、全米2位で初登場した。
2000年には、未完成の「I Disappear」がNapsterで出回り、さらにバンドの全カタログが共有されていることがわかった。バンドはNapsterを提訴し、ウルリッヒは同年7月11日に米上院で証言している。この件は和解に至り、Napsterはのちに破産した。
2001年1月17日、ジェイソン・ニューステッドが個人的な理由と演奏による体の損傷を挙げて脱退した。サイド・プロジェクトEchobrainにヘットフィールドが反対していたことも背景にあった。同年7月にはジェイムズ・ヘットフィールドがアルコール依存症の治療施設に入る。映画監督のJoe BerlingerとBruce Sinofskyは1,000時間以上を撮影し、その模様はドキュメンタリー『Some Kind of Monster(メタリカ:真実の瞬間)』(2004年)にまとめられた。2003年6月の『St. Anger』では、Bob Rockがベースも担当した。初登場1位となったが評価は割れ、Pitchforkは「まったくの混乱」と評した。それでも表題曲は2004年のグラミー賞最優秀メタル・パフォーマンスを受賞している。
約3か月のオーディションを経て、Suicidal TendenciesやOzzy Osbourneのバンドで活躍したロバート・トゥルージロがベーシストに迎えられた。2006年には、ファンの署名運動もあってプロデューサーがBob RockからRick Rubinに交代する。Bob Rockは、批判が自分の子どもたちまで傷つけたと語った。2008年9月の『Death Magnetic』はスラッシュ・メタルへの回帰と受け止められ、全米初週49万枚で1位となった。5作連続の初登場1位で、アメリカ以外の32か国でも首位を獲得している。
2009年4月4日にはロックの殿堂入りを果たし、式ではニューステッドもともに演奏した。招待されたムステインは出席を断っている。2010〜11年には、Slayer、Megadeth、Anthraxとの「ビッグ4」公演が実現し、多くの地域で4組が初めて同じステージに立った。最終公演は2011年9月14日のヤンキー・スタジアムだった。2011年のLou Reedとの共作『Lulu』は酷評され、ウルリッヒはのちに、制作中にReedから「路上での殴り合い」を挑まれたと明かしている。
2012年11月にはWarner Bros.を離れて自主レーベルBlackened Recordingsを立ち上げた。2013年には3D映画『Metallica: Through the Never』を公開し、12月8日には南極で演奏して、7大陸すべてで公演した最初のバンドとなっている。2016年の『Hardwired... to Self-Destruct』は全米1位で初登場した。2019年にはヘットフィールドが再び依存症の治療に入り、同年の『S&M2』は世界3,000以上の映画館で上映された。2021年のトリビュート作『The Metallica Blacklist』では、Miley CyrusがElton John、Chad Smith、Yo-Yo Maと「Nothing Else Matters」をカバーしている。
2022年には、ドラマ『ストレンジャー・シングス』シーズン4の最終話で登場人物Eddie Munsonが「Master of Puppets」を弾き、この曲は発表から36年後に初めてHot 100入りした(40位)。2023年4月14日に『72 Seasons』を発表し、同月27日にアムステルダムからM72 World Tourを始めた。表題曲は2024年のグラミー賞で最優秀メタル・パフォーマンスを受賞し、通算9度目のグラミー受賞となった。
Metallicaの初期作品はスラッシュ/スピード・メタルの色が強く、ブラック・アルバムでヘヴィ・メタルへ、『Load』『Reload』でハード・ロックへ移り、『Death Magnetic』で再びスラッシュに近づいた。
影響源はDiamond HeadやMotörheadといったNWOBHMで、ウルリッヒは「おそらく最大の影響」としてIron Maidenを挙げている。パンクではMisfitsの影響も大きい。
Metallicaは世界で1億2,500万枚以上を売り上げ、スラッシュ・メタルの「Big Four」の一角として扱われている。グラミー賞では9回受賞していて、メタル・パフォーマンス部門での受賞が多い。Rolling Stoneの「史上最も偉大な100組のアーティスト」では61位、『Master of Puppets』は同誌の「史上最高のアルバム500」で167位に入っている。