The Cure

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The Cure

The Cureとは

The Cure(ザ・キュアー)は、1976年にイングランド南東部ウェスト・サセックス州クローリーで結成されたイギリスのロック・バンドだ。フロントマンのロバート・スミス(Robert Smith、Vo/Gt)を中心に、ポスト・パンクの黎明期から活動を開始。深淵で内省的なゴシック・ロックの金字塔を打ち立てる一方で、きらびやかで甘美なポップ・ソングでも世界的な成功を収めた。1989年の傑作『Disintegration』や1992年の『Wish』をはじめ、数々の歴史的名盤を世に送り出し、2019年にはロックの殿堂入りを果たした。2024年には16年ぶりのスタジオ作『Songs of a Lost World』が全英1位を獲得するなど、結成から半世紀近くを経た現在も孤高の存在感を放ち続けている。

結成と初期ポスト・パンク期

バンドの原点は、クローリーの学校の同級生だったロバート・スミス、ロル・トルハースト(Dr)、マイケル・デンプシー(Ba)らによって結成された「Malice」、そして「Easy Cure」に遡る。1978年に「The Cure」へ改称後、ポリドール傘下の新興レーベル「フィクション・レコード(Fiction Records)」を率いるA&Rクリス・パリーに見出されて契約を結んだ。

1978年末、アルベール・カミュの不条理小説『異邦人』に着想を得たデビュー・シングル「Killing an Arab」を発表。翌1979年5月にはファースト・アルバム『Three Imaginary Boys』をリリースした。しかし同作の選曲や、家電製品を並べた無機質なジャケット・デザインがパリー主導で進められたことに不満を抱いたスミスは、以後の全活動において完全な芸術的主導権を握ることを決意した。また同年後半、スミスはスージー&ザ・バンシーズのツアー直前にギタリストとして急遽サポート参加したことで、ポスト・パンクのダークな表現力と美意識に強い触発を受けた。

暗黒三部作と崩壊の危機

1979年末、音楽的見解の相違からデンプシーが脱退し、後任にサイモン・ギャラップ(Ba)、さらにマシュー・ハートリー(Key)が加入した。ここからバンドは初期の「暗黒三部作」と呼ばれる内省的な深淵期へと突入する。

1980年発表の第2作『Seventeen Seconds』では、冷徹なドラムとうねるベース、コーラスを深く効かせたギターが緊張感を醸し出す「A Forest」が全英31位を記録し、初のスマッシュ・ヒットとなった。ハートリー脱退後にトリオ編成で制作した1981年の『Faith』は、死と信仰の葛藤を主題に据えた重厚な作品で全英14位に達した。

1982年の第4作『Pornography』では、重度の薬物乱用と精神的消耗のなか、「全員が死んでもかまわない(It doesn't matter if we all die)」という衝撃的な冒頭フレーズで幕を開ける破滅的な暗黒音響を構築。全英8位を記録したものの、直後のヨーロッパ・ツアー中にストラスブールでスミスとギャラップが激しい乱闘を起こし、ギャラップが脱退。バンドは事実上の崩壊状態に陥った。

ポップ路線への転回と世界的ブレイク

活動休止中、スミスはスージー&ザ・バンシーズの正式ギタリストとしてアルバム『Hyaena』に参加し、スティーヴン・セヴェリンとのユニット「The Glove」で『Blue Sunshine』を発表した。フィクション・レコードのクリス・パリーは、暗黒路線で疲弊したスミスに対し、意図的なポップ・ソングの制作を提案。ドラムからキーボードへ転向したロル・トルハーストとともに「Let's Go to Bed」(1982年)や「The Walk」(1983年、全英12位)を発表した。

さらに1983年末にリリースした軽快なジャズ調ポップ「The Lovecats」が全英7位を記録し、バンド初のトップ10ヒットを達成。陰鬱なゴス・バンドという世間のイメージを鮮やかに覆した。

1984年の『The Top』を経て、サイモン・ギャラップが劇的に復帰。ボリス・ウィリアムズ(Dr)、ポール・トンプソン(Gt/Sax)を加えた盤石の5人編成で、1985年に名盤『The Head on the Door』を発表した。「In Between Days」(全英15位)や「Close to Me」(全英24位)が世界的なヒットとなり、アメリカのBillboard 200でも60位に食い込んでブレイクを果たした。1987年には18曲入りの壮大な2枚組『Kiss Me, Kiss Me, Kiss Me』を発表。「Just Like Heaven」が全米トップ40入りを果たすなど、スタジアム級の人気を獲得していった。

金字塔『Disintegration』と90年代の頂点『Wish』

30歳の誕生日を目前にしたロバート・スミスは、自らのキャリアを決定づける究極の傑作を生み出さねばならないという強い強迫観念に駆られ、オックスフォードシャーのスタジオで再び暗黒の深淵へと回帰した。制作中、深刻なアルコール依存に陥っていた初期からの盟友ロル・トルハーストを解雇するという苦渋の決断を下している。

1989年5月に発表された第8作『Disintegration』は、荘厳なシンセサイザーのレイヤーと重厚なリヴァーブ、憂愁のメロディが息を呑むゴシック・ロックの最高峰となった。レコード会社のエレクトラ幹部は当初「商業的自殺」と難色を示したが、全英3位・全米12位を記録し全世界で数百万枚の大ヒットとなった。「Lullaby」(全英5位、ブリット・アワード受賞)、「Pictures of You」、「Fascination Street」、そしてスミスが妻メアリー・プールへの結婚祝いとして書いた「Lovesong」(米Billboard Hot 100で第2位)など名曲を連発し、世界的なスタジアム・ツアーを大成功させた。

1992年にはペリー・バモンテを迎えた第9作『Wish』を発表。全英アルバム・チャート初登場1位、全米Billboard 200でも第2位を記録し、世界的アンセムとなった「Friday I'm in Love」(全英6位、全米18位)とともに商業的頂点を極めた。

メンバー変遷と2000年代以降の軌跡

1990年代半ばにはジェイソン・クーパー(Dr)が加入し、ロジャー・オドネル(Key)も復帰。『Wild Mood Swings』(1996年)を経て、2000年には『Pornography』『Disintegration』に続く「暗黒三部作の完結編」と位置づけた『Bloodflowers』をリリースしグラミー賞にノミネートされた。2002年にはベルリンでこれら3作を一夜で全曲演奏する伝説の「The Trilogy」ライヴを敢行した。

2004年にロス・ロビンソン制作の『The Cure』、2008年に『4:13 Dream』を発表。2012年には元デヴィッド・ボウイのギタリスト、リーヴス・ガブレルズが加入した。2019年にはロックの殿堂入りを果たし、式典ではトレント・レズナー(ナイン・インチ・ネイルズ)がプレゼンターとして敬意を表した。

16年ぶりの奇跡『Songs of a Lost World』

2024年11月1日、前作から実に16年ぶりとなる第14作『Songs of a Lost World』をリリースした。本作は、ロバート・スミスの母、父、兄の相次ぐ逝去という個人的な喪失、老い、終末感をテーマに据え、全曲をスミス単独で作詞・作曲。長大で重厚なイントロと壮麗なストリングス/シンセサイザーが織りなす音響空間は、『Disintegration』の精神的後継作と呼ぶにふさわしい荘厳さを誇っている。

先行シングル「Alone」や「A Fragile Thing」とともに批評集計サイトMetacriticで93点という圧倒的絶賛を受け、全英アルバム・チャートでは1992年の『Wish』以来32年ぶりとなる初登場第1位を獲得。初週売上だけでチャート上位5作の合算を上回る大ヒットとなり、全米をはじめ世界各国のチャートでもトップ10入りを記録した。

音楽的特徴と革新性

The Cureのサウンドの核心にあるのは、ロバート・スミスが奏でるフェンダー・ベースVI(6弦バリトン・ベース)の哀愁を帯びたメロディックなリードと、サイモン・ギャラップのフランジャーやコーラスを深く効かせたドライヴ感あふれるベースラインである。何重にもディレイとリヴァーブを重ねたアルペジオ・ギターと壮大なシンセサイザーのレイヤーが広大な音響空間を作り出す。

暗黒と絶望の底を這うゴシック・ロックから、弾けるように多幸感あふれるポップ・ソングまでを自在に行き来する極端な振れ幅を持ちながら、スミスの切迫したエモーショナルな歌声と内省的な詩情が一貫した核を形成している。

後世への広範な影響

逆立てた黒髪、青白い肌、滲んだ赤い口紅というロバート・スミスのアイコニックなビジュアルは、80年代以降のゴス・カルチャーの象徴となった。その音楽的影響はジャンルを超えて広がり、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインやライドらシューゲイザー、スマッシング・パンプキンズやデフトーンズらオルタナティヴ/グランジ、マイ・ケミカル・ロマンスらエモ、さらにはインターポールやザ・キラーズに至るまで、後続の無数のバンドに決定的なインスピレーションを与え続けている。

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