Vinyl Record Reviews
The Mops(モップス)は、日本のグループサウンズを代表するバンドのひとつとして知られている。特にサイケデリック期の作品でよく語られる存在だ。もともとは星勝、三幸太郎、村上薫、スズキ幹治による4人編成のインストゥルメンタル・バンド「チェックメイツ」として始まり、そこに鈴木ヒロミツがボーカルとして加わって5人組の「モップス」になった。
結成は1966年。高校時代の友人だった鈴木幹治、三幸太郎、星勝、村上薫が中心となり、当初はベンチャーズ系のインストゥルメンタル・ロックを演奏していた。都内のゴーゴー喫茶やクラブ、ディスコで活動していたところをスカウトされ、1967年にホリプロと契約する。
同じ1967年の夏、マネージャーの堀威夫が渡米中にサンフランシスコでヒッピー・ムーブメントに触れ、日本初のサイケデリック・サウンドという方向性を提案した、という流れが伝えられている。これをきっかけに、モップスはサイケデリック・バンドとしてのイメージを固めていった。
モップスの名前が強く結びつくのは、やはりサイケデリック期の作品だ。1968年4月のアルバム『Psychedelic Sound in Japan』では、宇宙的なジャケット、民族衣装、ファズ・ギター、シタールなど、当時のサイケデリック・ロックでよく見られる要素を取り入れている。
収録曲には、Jefferson Airplaneの「Someone To Love」「White Rabbit」、Doorsの「Light My Fire」、Animalsの「San Franciscan Nights」「Inside Looking Out」などのカバーが並ぶ。さらに、自作曲「I Am Just A Mops」も入っていて、この曲は後年『Nuggets 2』に収録されたことでコレクターの間で知られるようになった。
ただ、サイケデリック・バンドとして扱われる一方で、オリジナル曲はガレージ・ロック寄りの鳴りを持つものも多い。演奏面ではライティング・エフェクトを使ったり、薬物の影響を模した演出として目隠しで演奏したりと、ステージでも工夫を重ねていた。さらに、当時のGSバンドで主流だった揃いの制服ではなく、それぞれ個性的な衣装を着ることもあったようだ。
1967年11月には「朝まで待てない」を発表し、これがチャートで38位を記録している。その後、1969年に村上薫が脱退し、三幸太郎がベースを担当する形に変わった。
JVCでの活動はアルバム1枚で終わり、その後はToshiba/EMIに移籍する。ここではブルース・ロック寄りの方向へ寄せていき、時代に合わせた変化を見せた。サイケデリック期ほどの評価では語られにくいが、その後も一定の成果を残している。
1971年には、冗談半分で録音したという「月光仮面」がノベルティ・ヒットになったほか、ハード・ロック調の「御意見無用」もチャート入りした。翌1972年には、吉田拓郎が提供した「たどりついたらいつも雨ふり」もヒットしている。
モップスは、演奏だけでなく見せ方でも当時のGSバンドとは少し違う動きをしていた。ドラムセットを横向きに置くなど、前衛的な舞台演出を試みていたことが伝えられている。こうしたやり方は当時の主流にそのままは乗らなかったが、後年の再評価につながっていった。
1980年代以降は、ガレージロックや日本のGSを掘るリスナーの間で見直しが進み、「ブラインド・バード」などのシングル盤はコレクター市場で高値が付くようになった。特に「ブラインド・バード」は、歌詞に「please kill me」が含まれていたため、一部の再発盤では外されたこともある。
グループは1974年5月に解散するまで、Toshiba/EMIから合計8枚のアルバムを発表した。GSバンドとしては比較的長い活動歴を持つ部類に入る。解散後、星勝は編曲家として音楽業界に残り、鈴木ヒロミツはテレビの世界でも活動した。鈴木幹治は現在、芸能マネジメント会社を率いている。
The Mopsを追うなら、まずは『Psychedelic Sound in Japan』が入口になりやすい。日本のGSの中でも、サイケデリック・ロックへの寄せ方がはっきりしていて、当時の空気も見えやすい。そこから「朝まで待てない」や「月光仮面」、「たどりついたらいつも雨ふり」まで聴くと、バンドの振れ幅が分かりやすい。
モップスは、GSの枠の中で始まりながら、サイケデリック、ガレージ、ブルース・ロック、ノベルティ・ソングまで触っていったバンドだ。活動の流れを追うと、時代の要請と自分たちの演奏がどう重なっていったかが見えてくる。