Isaac Hayes

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Isaac Hayes

Isaac Hayesとは

Isaac Hayesは、アメリカ・テネシー州コヴィントン出身のシンガー、キーボード奏者、プロデューサー、ソングライター、俳優。1942年8月20日生まれ、2008年8月10日にメンフィスで生涯を閉じた。1960年代から70年代にかけて名門Stax Recordsの中核として活動し、メンフィス・サウンドの黄金期を築くとともに、重厚なオーケストレーションとファンク・グルーヴを融合させた「シンフォニック・ソウル」の創始者として音楽史に不滅の足跡を刻んだ。

Staxでのソングライター/プロデューサー時代

幼少期に両親を亡くしたHayesは、小作農を営む祖父母のもと極貧の中で育ち、教会音楽に触れながら独学でピアノやオルガン、音楽理論を習得した。1960年代初頭にメンフィスのStax Recordsへ出入りするようになり、Booker T. Jonesが大学に通っていた期間の代役ピアニストとして頭角を現す。

間もなく作詞家のDavid Porterと専属ソングライター/プロデューサー・チームを結成。Sam & Daveのために「Hold On, I'm Comin'」(1966年R&B第1位)、「Soul Man」(1967年R&B第1位・Pop第2位)、「When Something Is Wrong with My Baby」など、サザン・ソウルを代表するアンセムを次々と生み出した。さらにCarla Thomas「B-A-B-Y」やJohnnie Taylorのヒット曲も手掛け、Staxの看板プロデューサーとしての地位を確立。2005年にはソングライターの殿堂(Songwriters Hall of Fame)入りを果たしている。1968年3月には、Stax傘下の新レーベルEnterpriseの第1弾として、Booker T. & The M.G.'sのリズム隊(Donald "Duck" Dunn、Al Jackson Jr.)との即興セッションを収めた初リーダー作『Presenting Isaac Hayes』を発表した。

『Hot Buttered Soul』とシンフォニック・ソウルの革命

1968年5月、Staxは配給元Atlantic Recordsとの契約解消に伴い過去の全マスターテープの権利を失い、さらに看板スターOtis Reddingの急逝という未曽有の危機に直面した。再建を期して副社長Alvertis "Al" Bellは全社的なリリース攻勢を企図し、Hayesに完全な創作の自由を与えてソロ・アルバム制作を委ねた。

1969年にEnterpriseからリリースされた2作目『Hot Buttered Soul』は、わずか4曲の構成で3分間のラジオ向けシングルという常識を根底から覆した。Burt Bacharach作の「Walk On By」(12分超)や「By The Time I Get To Phoenix」(18分超、うち冒頭9分間は自らの人生観を語る独白=ラップ)など、長尺のインプロビゼーションと重厚なオーケストレーション、ファンキーなグルーヴを大胆に融合。本作はBillboard R&Bアルバム・チャートで1位、Popアルバム・チャートで8位を記録し、81週にわたってチャートインする大ミリオンセラーとなった。Staxを財政的破綻から救い出しただけでなく、ソウル・ミュージックにおける「アルバム芸術」の時代を切り拓いた歴史的名盤である。

『Black Moses』とブラック・カルチャーの象徴

続く1970年の『The Isaac Hayes Movement』『...To Be Continued』も立て続けに全米R&Bチャート1位を獲得した。この時期、Hayesは剃り上げたスキンヘッド、濃いサングラス、素肌の上に鎖帷子(チェーンメイル)を纏い、タイツとマントを羽織るという圧倒的なヴィジュアル・スタイルを確立。公民権運動の高まりとともに、ブラック・パワーと黒人の自立・誇りを象徴するアイコンとなった。

1971年秋には、広げると十字架の形状になる巨大な変形ポスター型ジャケットを採用した2枚組大作『Black Moses』を発表。The Jackson 5の「Never Can Say Goodbye」(全米R&B第5位)やThe Carpenters「(They Long to Be) Close to You」などを、長尺の重厚なオーケストラル・ソウルへと再構築した。「ブラック・モーゼ」の愛称は、彼のカリスマ性と威厳に満ちた存在感を決定づけた。

『Shaft』の世界的成功とオスカー受賞

1971年、Gordon Parks監督のブラックスプロイテーション映画『黒いジャガー(Shaft)』の劇伴音楽を担当。Charles "Skip" Pittsによる伝説的なワウワウ・ギターのリフ、疾走する16ビートのハイハット、華麗なホーンとストリングス、そしてHayesの囁くような低音ヴォーカルが融合した主題歌「Theme from Shaft」(黒いジャガーのテーマ)はBillboard Hot 100で第1位を記録し、世界的な社会現象となった。2枚組サウンドトラック・アルバムも全米アルバム・チャートで1位を獲得している。

この作品でHayesは、1972年の第44回アカデミー賞において「歌曲賞(Best Original Song)」を受賞。アフリカ系アメリカ人の作曲家として、演技部門以外で史上初となるオスカー獲得の快挙を成し遂げ、グラミー賞2部門も制覇した。同年8月にはロサンゼルス・コロシアムで開催された伝説の音楽祭「Wattstax」でヘッドライナーを務め、黄金のマント姿で10万人以上の観衆を熱狂させた。

Staxの崩壊、自己破産、そしてPolydorでの再起

1970年代中盤には自身のレーベルHot Buttered Soul(HBS)を立ち上げ、『Joy』(1973年)や自身が主演を務めた映画『Truck Turner』(1974年)のサウンドトラックを発表した。しかし、Stax Records本体の放漫経営と配給契約トラブルによる経営悪化に巻き込まれ、1975年のStax倒産に伴い巨額の負債を抱え、1976年に自己破産を余儀なくされた。この結果、自宅やスタジオ、そして70年代Stax期の楽曲の著作権・印税権利の多くを喪失する苦難を味わった。

しかしその後Polydor Recordsと契約を結んで再起を図り、1979年のアルバム『Don't Let Go』では当時のディスコ/ファンクの潮流を取り入れた表題曲「Don't Let Go」がBillboard R&Bチャート第11位、Hot 100で第18位を記録する劇的なカムバックを果たした。

俳優としての活動と『サウスパーク』

音楽活動と並行して、Hayesは個性派俳優としても確固たる足跡を残した。1981年のJohn Carpenter監督によるSF映画の金字塔『ニューヨーク1997(Escape from New York)』では、マンハッタン刑務所を冷酷に支配する悪役「ニューヨークの公爵(The Duke of New York)」を熱演。

さらに1997年から2006年にかけて、Comedy Centralの人気アニメシリーズ『サウスパーク(South Park)』で学校給食の料理人「シェフ(Chef)」の声を担当。劇中歌「Chocolate Salty Balls」が全英シングル・チャートで1位を獲得するなど、世代を超えて幅広い層から愛された。

後世への影響とロックの殿堂入り

Isaac Hayesの遺産は、現代の音楽シーン、特にヒップホップやネオソウル、ダンス・ミュージックにおいて絶大な影響力を持ち続けている。「Hung Up on My Baby」がGeto Boys「Mind Playing Tricks on Me」やThe Notorious B.I.G.「Warning」の中核を成し、「Ike's Mood」や「Walk On By」が2Pac、Jay-Z、Wu-Tang Clan、Mary J. Blige、Dr. Dre、さらにはブリストル・サウンドのPortisheadなどにサンプリングされ、映画的なスケール感を持つ重厚なグルーヴは現代ブラック・ミュージックの礎となった。

2002年にはロックの殿堂(Rock & Roll Hall of Fame)入りを果たした。ソウル・ミュージックをシングル盤の制約から解き放ち、壮大なオーケストレーションとファンクを融合させてアルバム芸術へと昇華させたその音楽的功績は、ポピュラー音楽史に燦然と輝き続けている。

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