Vinyl Record Reviews
Siouxsie & The Banshees(スージー&ザ・バンシーズ)は、1976年にロンドンで結成されたイギリスのポスト・パンク/ゴシック・ロック・バンドだ。稀代の女性フロントパーソンであるスージー・スー(Siouxsie Sioux)とベーシストのスティーヴン・セヴェリン(Steven Severin)を中心に始動。初期パンクの原初的な衝動からいち早く脱却し、冷徹で空間的なアンサンブル、トライバルなドラム、変則エフェクトを駆使したギター、そして呪術的でシアトリカルな歌声を融合させた独自のダーク・サウンドを確立した。ジョイ・ディヴィジョンやザ・キュアーからレディオヘッド、ザ・ウィークエンドに至るまで、後世のロック/ポップス史に計り知れない影響を与え続けている。
バンドの創設者であるスージー・スー(本名スーザン・バリオネ)とスティーヴン・セヴェリン(本名スティーヴ・ベイリー)は、セックス・ピストルズの熱狂的親衛隊「ブロムリー・コンティンジェント(Bromley Contingent)」の主要メンバーとしてロンドンのパンク黎明期を牽引した。1976年12月、ピストルズが出演して泥酔司会者ビル・グランディを放送禁止用語で罵倒し社会問題となった伝説の生放送番組『Today』にもスージーは同席していた。
バンドの初ステージは1976年9月20日、ロンドンの「100クラブ・パンク・フェスティバル」であった。出演キャンセルが出た枠を埋めるため即席で結成され、ギタリストにマルコ・ピローニ(後のアダム&ジ・アンツ)、ドラマーにシド・ヴィシャス(後のピストルズ)を迎えたラインナップで登場。事前の練習もオリジナル曲もなく、聖書の「主の祈り(The Lord's Prayer)」を耳をつんざくノイズとともに20分間叫び続ける前衛的な即興演奏を敢行し、鮮烈なインパクトを残した。
本格的な活動に向けてケニー・モリス(Dr)とジョン・マッケイ(Gt)が加入。レコード会社はスージーの過激なイメージを恐れて契約を躊躇したが、ロンドン中の壁にファンが「Sign the Banshees Now(今すぐバンシーズと契約しろ)」とスプレーで落書きする運動が自然発生し、1978年にポリドールとの契約を獲得した。
1978年8月、木琴のオリエンタルなフックと鋭角的なカッティングが炸裂するデビュー・シングル「Hong Kong Garden」を発表し、全英シングル・チャート第7位の大ヒットを記録。同年11月のデビュー・アルバム『The Scream』はスティーヴ・リリーホワイトがプロデュースを手掛けた。ブルースやロックンロールのコード進行を完全に解体し、空間を切り裂く金属的なギター、低音で蠢くベース、呪術的なドラムが交錯する音響空間は、後のポスト・パンクの設計図となった。ジョイ・ディヴィジョンのピーター・フックは「ドラムとベースがどのように空間を共有し機能すべきかを『The Scream』から学んだ」と公言している。
1979年秋、第2作『Join Hands』を発表。しかし全英ツアー開始直後の9月7日、スコットランドのアバディーンにあるレコード店でのサイン会をめぐってメンバー間の口論が勃発。ギタリストのジョン・マッケイとドラマーのケニー・モリスが開演わずか数時間前に機材を放棄して突如失踪・脱退する事件が発生した。
この最大の危機を救ったのが、ツアーのオープニング・アクトを務めていたThe Cureの若きフロントマン、ロバート・スミスであった。スミスはギタリスト代役として名乗りを上げ、同時にスリッツやビッグ・イン・ジャパンで活躍していた名ドラマー、バッジー(Budgie、本名ピーター・クラーク)が緊急招集された。スミスが1日2ステージをこなしてツアーを完遂し、バッジーが正式メンバーとして定着したことで、バンドはより強靭でポリリズミックなリズム隊を獲得した(スージーとバッジーは後にプライベートでも結ばれ、ドラムとヴォーカルを中心としたユニット「ザ・クリーチャーズ」も結成した)。
1980年、元マガジンの天才ギタリスト、ジョン・マッギオーク(John McGeoch)が正式加入。フランジャーやコーラス・エフェクトを重層的に重ねたアルペジオ、冷徹な変則コード、空間を自在に操るマッギオークの革新的なギター・プレイにより、バンドは黄金期を迎えた。
シンセサイザーや打ち込みのリズムを大胆に導入した1980年の第3作『Kaleidoscope』(全英5位)からは、「Happy House」「Christine」が連続ヒット。
1981年の第4作『Juju』(全英7位)は、暗黒の呪術性とトライバルなドラム、剃刀のように鋭利なギターが完璧な結晶を成したゴシック・ロックの究極の規範となった。「Spellbound」「Arabian Knights」をはじめとする名演は、ザ・スミスのジョニー・マー、レディオヘッドのトム・ヨーク、スマッシング・パンプキンズのビリー・コーガンら無数のギタリストに「人生を変えた演奏」として崇拝されている。
1982年、ストリングスや管楽器を導入しデカダンなサイケデリアを開拓した『A Kiss in the Dreamhouse』(全英5位)を発表。しかしツアー中にマッギオークが極度のアルコール依存と過労によりマドリードで倒れ脱退した。
これを受け、ロバート・スミスが再びギタリストとして正式復帰。1983年、ビートルズのカヴァー「Dear Prudence」をシングル・リリースし、全英シングル・チャート第3位というバンド史上最大のヒットを記録した(同曲のギターもスミスが担当)。1984年の第6作『Hyaena(ハイエナ)』は、ロバート・スミスが全編でギターを弾いた唯一のスタジオ・アルバムとなった(スミスは本作に伴うツアー後にThe Cure専念のため友好的に離脱)。
1986年、元クロックDVAのジョン・ヴァレンタイン・カラザースを迎えた『Tinderbox』から「Cities in Dust」がヒット。1987年には全曲カヴァー・アルバム『Through the Looking Glass』を発表した。
1987年、マルチ奏者マーティン・マッカリック(アコーディオン/チェロ/キーボード)とギタリストのジョン・クラインが加入。1988年の『Peepshow』では、アコーディオンとパーカッションを不気味にコラージュしたアヴァン・ポップ曲「Peek-a-Boo」が米Modern Rock Tracksチャートで第1位を獲得し、アメリカでのブレイクスルーを果たした。
1991年、スティーヴン・ヘイグをプロデューサーに迎えた『Superstition』からは、スクーリーDのドラム・ブレイクを引用したダンサブルな「Kiss Them for Me」が米Billboard Hot 100で23位のヒットを記録。同年夏にはジェーンズ・アディクションとともに第1回ロラパルーザ・フェスティバルのヘッドライナーを務め、全米スタジアム級の成功を収めた。1992年には映画『バットマン・リターンズ』の主題歌「Face to Face」をティム・バートン監督直々の依頼で制作した。
1995年、ジョン・ケイルを共同プロデューサーに迎えた優美なラスト・アルバム『The Rapture』を発表。しかしセックス・ピストルズの再結成が発表された1996年4月、スージーとセヴェリンは「かつて破壊したはずの商業主義にパンクが屈した」として、20年の歴史に自ら終止符を打つ解散を発表した(2002年に一度だけ「The Seven Year Itch」再結成ツアーを敢行)。
スージー&ザ・バンシーズの音楽的遺産は、現代のオルタナティヴ・ロックの礎石である。
第1に、ジョン・マッギオークによる空間系アルペジオ、バッジーのトライバルでジャズ的な変拍子ドラミング、セヴェリンの地を這うミニマルなベースが融合した、構築的で重層的なアンサンブルである。第2に、スージー・スーの圧倒的なアティテュードと美意識である。逆立てた黒髪、エジプト風の鋭いアイライン、レザーやボンデージを纏ったゴシック・ファッションは、女性が性的な客体ではなく自律した支配者として君臨する新しいロックスター像を確立した。
その影響力は、ジョイ・ディヴィジョン、ザ・キュアー、ザ・スミス、U2(ジ・エッジのディレイ奏法)、マッシヴ・アタック、LCDサウンドシステム、そして「Happy House」を大ヒット曲「House of Balloons」で大胆にサンプリングしたザ・ウィークエンドに至るまで、世代とジャンルを超えて鳴り響き続けている。