Depeche Mode

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Depeche Mode

Depeche Modeとは

Depeche Modeは、1980年にイングランドのエセックス州バジルドンで結成されたイギリスのエレクトロニック・バンドだ。バンド名は、フランスのファッション誌『Dépêche Mode』に由来する。ゴアは「“急ぎのファッション”とか“ファッション速報”という意味。その響きが気に入った」と語っている。結成当初はヴィンス・クラーク、アンディ・フレッチャー、マーティン・ゴア、デイヴ・ガーンの4人編成で始まり、のちにアラン・ワイルダーが加わった。

現在の中心メンバーはマーティン・L・ゴアとデイヴ・ガーンで、長くバンドを支えてきたアンディ・フレッチャーは2022年に死去している。初期メンバーのヴィンス・クラーク、後年加入したアラン・ワイルダーも、重要な時期にグループの音に関わった。

結成から初期の成功まで

1977年、ヴィンス・クラーク(ボーカル、ギター)とアンディ・フレッチャー(ベース)がバンド「No Romance in China」を組み、1980年には「Composition of Sound」を結成してマーティン・ゴアが加わった。スカウトの集会所でのジャム・セッションでデイヴィッド・ボウイの「Heroes」を歌うデイヴ・ガーンを聴いたクラークが、彼をボーカルに誘った。

1981年、コンピレーション『Some Bizzare Album』に「Photographic」で初めて参加。キャニング・タウンのライヴハウス「ブリッジ・ハウス」で彼らを見たミュート・レコードのダニエル・ミラーに声をかけられ、書面ではなく口約束で契約した。1981年2月のデビュー・シングル「Dreaming of Me」は全英57位、続く「New Life」が11位。デビュー作『Speak & Spell』(1981年)からの「Just Can't Get Enough」が初の全英トップ10入りを果たした。

ただし、クラークは「インタビューや写真撮影ばかりで、何かをする時間がまったくなかった」とバンドの方向に不満を漏らし、ツアーにも嫌気がさして、1981年11月に脱退してヤズーを結成した。以後の作曲の中心はマーティン・ゴアに移る。1982年の『A Broken Frame』は3人体制で制作され、1982年初め、メロディ・メイカー誌に「有名バンド、シンセ奏者募集、21歳以下」という匿名広告を出したところ、クラシックの訓練を受けたキーボード奏者アラン・ワイルダーが応募し、22歳だったにもかかわらず2度のオーディションを経て採用された。この編成はその後13年続いた。

サウンドの変化と80年代の拡大

プロデューサーにガレス・ジョーンズを迎えた『Construction Time Again』(1983年)は西ベルリンのハンザ・スタジオで録音され、ワイルダーが持ち込んだシンクラヴィアやE-muエミュレーターなどのサンプラーによってサウンドが大きく変わった。「Everything Counts」は全英6位。『Some Great Reward』(1984年)の「People Are People」は全英4位、全米13位で初めてビルボードHot 100に入り、のちにLGBTのアンセムとしても受け止められた。

1986年の『Black Celebration』、1987年の『Music for the Masses』で人気はさらに広がり、アメリカでも存在感を強めた。1988年6月18日、パサデナのローズ・ボウルで6万453人を集めた公演を行い、その模様はD・A・ペネベイカーの映画『101』と同名のライヴ・アルバムになった。

『Violator』で広がった知名度

1989年8月の「Personal Jesus」は、プリシラ・プレスリーの回想録『エルヴィス・アンド・ミー』に着想を得た曲で、ゴアは「エルヴィスが彼女にとって男であり師だったこと、誰の心も何かしら神のようなものだということ」を歌ったと説明している。「あなた自身のパーソナル・ジーザスが必要?」という新聞広告を打ったところ、英国の一部の新聞は掲載を拒んだ。全英13位、全米28位で、米国で初のゴールド・シングルになった。

「Enjoy the Silence」(1990年2月)は、ゴアがハーモニウムで作った素朴なバラードのデモを、ワイルダーとプロデューサーのフラッドがアップテンポのダンス・トラックに作り替えたもの。ゴアは当初「“沈黙を楽しめ”という曲をディスコにするのは正反対だ」と抵抗したが、ギター・リフを聴いて納得し、フレッチャーは「大ヒットになると分かった」と振り返っている。全英6位、全米8位でバンド最大の全米ヒットとなり、1991年のブリット・アワードで最優秀英国シングルを受賞した。ビデオはアントン・コービンの監督で、王冠をかぶったガーンがデッキチェアを手に静かな場所を探して歩く。

アルバム『Violator』(1990年)は初めて全米トップ10入り(7位)。同年、ロサンゼルスのレコード店で開いたサイン会には約2万人が押し寄せ、暴動寸前になった。

90年代の緊張と再出発

グランジに傾倒したガーンは、ジェーンズ・アディクション、サウンドガーデン、アリス・イン・チェインズ、ニルヴァーナに影響を受けて風貌も変わり、『Songs of Faith and Devotion』(1993年)は英米で初登場1位になった。しかし長期の「Devotional Tour」の間に、ヘロイン漬けのガーンはコルチゾン注射を打たなければ舞台に立てず、ゴアは2度ストレス性の発作を起こし、フレッチャーは1994年夏に神経衰弱に陥った。ニューオーリンズ公演ではガーンが薬物による心臓発作を起こしている。1995年6月、ワイルダーが「仕事量の配分が一貫して不均衡だったにもかかわらず、それを進んで引き受けてきた」という声明を出して脱退し、再び3人体制になった。

1996年半ば、ガーンはロサンゼルスで薬物の過剰摂取により心臓が2分間止まり、その後、裁判所の命令で薬物更生プログラムに入った。リハビリを終えたガーンを迎えて、ティム・シメノンのプロデュースで『Ultra』(1997年)を制作した。制作時にはデイヴ・ガーンの薬物問題やメンバーの体調面の問題が重なっていたため、大規模なワールドツアーは行われなかった。1998年にはベスト盤『The Singles 86>98』とそれに伴うツアーが行われ、活動継続の流れが続いた。

2000年代以降の動き

マーク・ベルがプロデュースした2001年の『Exciter』で、バンドを続ける意思を示した。2005年の『Playing the Angel』では、デイヴ・ガーンが初めて作曲クレジットを得ている。その後も『Sounds of the Universe』『Delta Machine』『Spirit』とアルバムを重ね、2017〜18年の「Global Spirit Tour」の興行収入は2億200万ドルを超えた。2020年にはロックの殿堂入りし、プレゼンターのクリス・マーティン(コールドプレイ)は彼らを「あらゆるルールブックを投げ捨てた」バンドと称えた。

2022年5月26日、フレッチャーが大動脈解離で死去。バンドは「フレッチは本当に心の優しい人で、支えが必要なときはいつもそこにいてくれた」と追悼した。

2023年3月24日発表の『Memento Mori』は2人体制での初のアルバム。曲作りはフレッチャーの死の前から始まっていたが、彼は録音にも参加せず、曲を聴くこともなかった。プロデューサーはジェイムス・フォードで、サイケデリック・ファーズのリチャード・バトラーが4曲をゴアと共作している。ゴアは「予定どおり続けるのがいいことなのか、一瞬迷った」と語り、死を意識したテーマについては「地球にいる時間を最大限に生かすべきだ」というメッセージだと説明している。ドイツとフランスで1位、全英2位。ツアーは2023年3月23日のサクラメントから2024年4月8日まで112公演に及んだ。

音楽的特徴

Depeche Modeは、シンセサイザー主体のポップスから始まり、アルバムを重ねるごとにエレクトロ、ロック、インダストリアル寄りの質感を取り入れてきた。80年代半ば以降はサンプラーを駆使したサウンドになり、90年代にはギターも前に出るようになった。

マーティン・ゴアの歌詞は、性、宗教、政治をテーマにすることが多く、本人は「ハッピーな歌は偽物で非現実的だ」と考えている。

影響と評価

Depeche Modeは、世界で1億枚以上のレコードを売り上げたとされる。全英シングル・チャートに50曲を送り込み、15枚のスタジオ・アルバムすべてが全英トップ10入りした。Q誌やVH1のランキングでも名前が挙がっている。

影響を受けたアーティストとしては、ナイン・インチ・ネイルズ、ラムシュタイン、マリリン・マンソン、ザ・キラーズ、リンキン・パークなどが挙げられる。デトロイト・テクノのホアン・アトキンスやデリック・メイにも影響を及ぼし、デリック・メイは彼らを「当時のレディオヘッドだった」と語っている。「Personal Jesus」はジョニー・キャッシュが2002年の『American IV: The Man Comes Around』でカバーし、キャッシュは「自分が録音した中でおそらく最も福音的な歌」と話した。マリリン・マンソンのカバー(2004年)も全英13位になった。

主要メンバー

  • デイヴ・ガーン: リード・ボーカル
  • マーティン・L・ゴア: キーボード、ギター、ボーカル、主要ソングライター
  • アンディ・フレッチャー: キーボード(2022年死去)
  • ヴィンス・クラーク: 初期メンバー、1981年に脱退
  • アラン・ワイルダー: 1982年加入、1995年脱退
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