Edgar Froese

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Edgar Froese

Edgar Froeseとは

Edgar Froese(エドガー・フローゼ/本名:Edgar Willmar Froese、2003年以降のソロ作品ではEdgar W. Froese名義も使用)は、ドイツの音楽家、作曲家であり、電子音楽グループTangerine Dream(タンジェリン・ドリーム)の創設者だ。第二次世界大戦中の1944年6月6日(ノルマンディー上陸作戦のD-デイ当日)に東プロイセンのティルジット(現ロシア・カリーニングラード州ソヴェツク)で生まれ、2015年1月20日にオーストリア・ウィーンで死去するまで、唯一のオリジナル・メンバーとしてTangerine Dreamを率い、クラウトロックおよび「ベルリン・スクール(Berlin-School)」と呼ばれる電子音楽の潮流を切り拓いた。

生い立ちと美術・哲学のバックグラウンド

父親を含む親族がナチス政権によって殺害され、戦後は母親や生き残った家族とともに西ベルリンへ移住した。12歳からピアノのレッスンを受け、15歳でギターを弾き始める。早くから美術の才能を示し、18歳で西ベルリンの芸術アカデミー(Academy of the Arts in Berlin)に入学して絵画・グラフィック・彫刻を学んだ。

学費を稼ぐためにベルリンの市バスの広告ポスターのデザインや執筆、俳優などの仕事をこなす傍ら、夜間課程で心理学と哲学を学び、カントの定言命法に関する博士論文を準備していた。しかし既存のアカデミズムの思考様式と合わず、「大学の埃は真実を覆い隠す経帷子(きょうかたびら)のようなものだ」との言葉を残して1966年に学業を離れた。

The Onesでの活動とサルバドール・ダリとの出会い

1965年、R&Bやサイケデリック・ロックを演奏するバンド「The Ones(ザ・ワンズ)」を結成。スペインで公演を行った際、カダケスにある画家Salvador Dalí(サルバドール・ダリ)の別荘に招かれて演奏する機会を得た。ダリとの出会いと芸術観はフローゼに決定的な影響を与え、より実験的で前衛的な音楽表現を追求するきっかけとなった。The OnesはStar-Club Recordsからシングル「Lady Greengrass / Love of Mine」を1枚のみ発表して1967年に解散した。

Tangerine Dreamの結成と展開

ベルリンに戻ったフローゼは1967年9月、フリー・ロック・バンドとしてTangerine Dreamを結成。1969年に一時活動を休止したのち、Klaus Schulze(クラウス・シュルツェ)やConrad Schnitzler(コンラッド・シュニッツラー)を迎えて再始動し、1970年にOhrレーベルからデビュー・アルバム『Electronic Meditation(冥想の河に伏して)』を発表した。シュルツェとシュニッツラーの脱退後にはChristopher Franke(クリストファー・フランケ)やPeter Baumann(ピーター・バウマン)らが加わり、『Alpha Centauri』(1971年)、『Zeit』(1972年)、『Atem』(1973年)といった初期作品群を制作した。

1974年にはイギリスのVirgin Recordsと契約し、『Phaedra(フェードラ)』(1974年)や『Rubycon(ルビコン)』(1975年)などを発表。シーケンサーの反復とシンセサイザーのレイヤーを駆使したこの時期の作品は、ベルリン・スクールの代表的な作品群として広く知られるようになった。

ソロ作品とデヴィッド・ボウイとの交流

フローゼはTangerine Dreamでの活動と並行してソロ制作も重ねた。1974年のソロ・デビュー・アルバム『Aqua(アクア)』(Brain/Virgin)では、水中音響録音システム「バイノーラル・レコーデッド・サウンド(人工頭蓋マイク)」を導入した実験的な音響設計を試みている。

続く1975年の2ndソロ・アルバム『Epsilon in Malaysian Pale(イプシロン・イン・マレイシアン・ペール)』は、メロトロンを全面的にフィーチャーした叙情的な電子音楽作品として知られる。フローゼは当時ドラッグ依存からの脱却を図って西ベルリンへ移住してきたDavid Bowie(デヴィッド・ボウイ)やIggy Pop(イギー・ポップ)と親交を深め、彼らがハウプト通りのアパートへ移る前にはベルリン・シェーネベルクのフローゼ宅で同居し、ベルリンのアンダーグラウンド・シーンを紹介するなどボウイの活動を支えた。ボウイは『Epsilon in Malaysian Pale』をベルリン時代の自身の生活のサウンドトラックであり、大きな影響を受けた作品として挙げている。

その後もソロ名義で『Macula Transfer』(1976年)、『Ages(エイジス)』(1978年)、『Stuntman(スタントマン)』(1979年)、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー主演映画のサウンドトラック『Kamikaze 1989(カミカゼ1989)』(1982年)、『Pinnacles』(1983年)などを発表。2004年には若き日に影響を受けたダリへのオマージュ作『Dalinetopia』(Eastgate)をリリースし、2005年には自身の初期ソロ6タイトルの再録音・リミックス盤も発表している。

人物像・家族・晩年

フローゼはベジタリアンであり、絶対禁酒主義・非喫煙・非ドラッグの生活信条を貫いた人物としても知られる。私生活では1970年代から多くのアルバム・ジャケットのアートワークや写真を担当したアーティスト/写真家のMonique Froese(モニク・フローゼ)と結婚し、2000年に彼女が死去するまで連れ添った。ふたりの息子であるJerome Froese(ジェローム・フローゼ)は1990年から2006年までTangerine Dreamの正式メンバーとして活動した。2002年には画家・ミュージシャンのBianca Froese-Acquaye(ビアンカ・フローゼ=アクエイ)と再婚している。

2015年1月20日、肺血栓塞栓症のためウィーンにて70歳で急逝。同年には電子音楽への生涯功労を称えてシャルヴェレ(Schallwelle)名誉賞が追贈された。訃報に際しては、フローゼが生前に残した「死というものは存在しない。ただ私たちの宇宙における住所(コスミック・アドレス)が変わるだけなのだ」という言葉が遺族やBBCなどによって引用された。

ジャンル・スタイル

Electronic Berlin-School
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