Vinyl Record Reviews
Funkadelic(ファンカデリック)は、鬼才ジョージ・クリントン(George Clinton)を中心に結成されたアメリカの伝説的ファンク・ロック・バンド。ホーン・セクション主体の洗練された姉妹グループParliamentとともに、1970年代の黒人音楽シーンを席巻した一大勢力「P-Funk(Parliament-Funkadelic)」の二大巨頭として君臨した。黒人音楽の伝統的なグルーヴにアシッド・ロックや過激な社会風刺を融合させ、1997年には主要メンバーとともに「ロックの殿堂」入りを果たしている。
その原点は、1950年代末にニュージャージー州プレインフィールドの理髪店でジョージ・クリントンが立ち上げたドゥーワップ・グループ「The Parliaments」に遡る。1960年代半ばに活動拠点をデトロイトへと移し、1967年に「(I Wanna) Testify」のヒットを放つが、所属レーベルRevilotの倒産と原盤権を巡る法廷闘争によって「Parliaments」の名が使用不能となる危機に直面した。
そこでクリントンは、エディ・ヘイゼル(ギター)、ビリー・“ベース”・ネルソン(ベース)、ルーシャス・“タウル”・ロス(リズムギター)、ティキ・フルウッド(ドラムス)ら若きバックバンドを前面に押し出し、新たな独立グループとして再出発を図った。「Funk」と「Psychedelic」を掛け合わせた「Funkadelic」という象徴的なバンド名は、ベーシストのビリー・ネルソンの発案によって命名された。
1970年、デトロイトのインディ・レーベルWestbound Recordsと契約したバンドは、クラシック音楽の素養を持つ鍵盤の魔術師バーニー・ウォーレル(Bernie Worrell)を迎え、デビュー作『Funkadelic』および『Free Your Mind... and Your Ass Will Follow』(1970年)を発表。Jimi HendrixやSly & the Family Stone、Creamらのサイケデリック・ロックと、モータウン仕込みの黒人リズムを極限まで衝突させたヘヴィ・サイケ・ファンクを確立した。
その到達点となったのが、1971年の歴史的名盤『Maggot Brain』である。10分を超える表題曲の録音時、クリントンはギタリストのエディ・ヘイゼルに「母親が死んだと知らされた直後の絶望で弾き始め、後半は実は生きていたと知ったときの歓喜で弾け」と指示。感情を極限まで剥き出しにしたヘイゼルのファズ・ギター・ソロは、ロック/ソウル史上に残る屈指の名演として今なお語り継がれている。
1972年には、ジェームス・ブラウン率いるJ.B.'sを脱退したベースの怪人ブーツィー・コリンズ(Bootsy Collins)と兄のキャットフィッシュ・コリンズが電撃加入。バンドは『America Eats Its Young』(1972年)、『Cosmic Slop』(1973年)、『Standing on the Verge of Getting It On』(1974年)、『Let's Take It to the Stage』(1975年)と怒涛の勢いで傑作を連発していく。
ヘイゼルが一時離脱した際にも、わずか17歳で「Maggot Brain」のソロを完全にコピーしてオーディションを突破した天才ギタリスト、マイケル・ハンプトン(Michael Hampton / "Kidd Funkadelic")が加入。バーニー・ウォーレルのMinimoogによる革新的なシンセ・ベースや、ギャリー・シャイダーの卓越したリズムギターとソウルフルなボーカルが揃い、比類なき最強のP-Funkアンサンブルが完成した。
1976年にメジャーのWarner Bros. Recordsへと移籍したFunkadelicは、元Ohio Playersのジュニー・モリソン(Junie Morrison)をキーボード/アレンジャーに迎えてサウンドをより洗練されたダンス・ファンクへと進化させた。
1978年に発表された『One Nation Under a Groove』は、Billboard R&Bアルバム・チャートで1位を獲得し、バンド初のプラチナ・ディスクを達成。タイトル曲はR&Bシングル・チャートで6週連続1位というメガヒットを記録した。さらに翌1979年の『Uncle Jam Wants You』からは、15分に及ぶ伝説的ファンク・アンセム「(Not Just) Knee Deep」が生まれ、R&Bチャート1位を獲得。コマーシャルとアートの両面で絶対的な頂点を極めた。
Funkadelicの神話を決定づけたもうひとつの要素が、専属イラストレーターのペドロ・ベル(Pedro Bell)によるヴィジュアル・アートである。『Cosmic Slop』以降のジャケットやライナーノーツを担当し、過激で極彩色豊かなSFコミック調のイラストレーション、独自のスラング、そして「Sir Nose D'Voidoffunk」などのキャラクター群を創造した。
クリントンの紡ぐ宇宙的寓話と融合したペドロ・ベルの世界観は、黒人文化における「アフロフューチャリズム」の先駆的表現として、音楽のみならず現代アートやサブカルチャーの領域でも極めて高く評価されている。
1980年代初頭、過酷なツアーの疲弊やレーベルとの契約トラブル、財政難によりFunkadelic名義での活動は停止を余儀なくされたが、ジョージ・クリントンは「P-Funk All-Stars」として巨大なコレクティヴを維持し続けた。1997年のロックの殿堂入りに続き、2019年にはグラミー賞生涯功労賞を受賞している。
彼らが残した音源は、1990年代以降のヒップホップ文化における最大の礎となった。De La Soulが「Me Myself and I」で「(Not Just) Knee Deep」を大胆に引用したのを皮切りに、Dr. Dreが確立した西海岸G-Funk(『The Chronic』『Doggystyle』)ではP-Funkのベースラインとシンセサイザーが骨格として定着。さらにSnoop Dogg、2Pac、Outkast、Red Hot Chili Peppers(クリントンが『Freaky Styley』をプロデュース)、そしてKendrick LamarやChildish Gambinoに至るまで、世代やジャンルを超越して無限の影響を与え続けている。