Vinyl Record Reviews
Pink Floydは、1965年にロンドンで結成されたイングランドのロック・バンドだ。初期はサイケデリック・ロックで注目を集め、その後はプログレッシブ・ロックの代表的な存在として知られるようになった。メンバーにはロジャー・ウォーターズ、ニック・メイスン、リチャード・ライト、シド・バレット、デヴィッド・ギルモアらが名を連ねる。バンド名は、ブルース・ミュージシャンのピンク・アンダーソンとフロイド・カウンシルから取られたものだ。バレットが自分のレコード・コレクションにあった2人の名前を組み合わせて付けた。
1962年9月、ロンドンのリージェント・ストリート・ポリテクニックで建築を学んでいたロジャー・ウォーターズとニック・メイスンが出会い、同じく学生だったリチャード・ライトも加わって学生バンド「Sigma 6」を組んだ。バンドは何度も名前を変え、初期のギタリスト、ボブ(ラド)・クロースが1965年に離れて、ウォーターズの幼なじみのシド・バレットが加わった。ロンドンのアンダーグラウンド・シーンでは、UFOクラブなどに出演し、色付きスライドや家庭用照明を使ったライヴ演出でも目立っていた。
1967年3月のデビュー・シングル「Arnold Layne」が全英20位、6月の「See Emily Play」が全英6位。8月のデビュー・アルバム『The Piper at the Gates of Dawn』(邦題『夜明けの口笛吹き』)も全英6位を記録した。この時期の作品は、実験的なサウンドとバレットの個性的な作曲が中心になっている。
バレットはLSDの影響もあって精神状態が悪化し、メイスンは「周りで起きていることから完全に切り離されていた」と振り返っている。1967年12月、バレットの学生時代からの友人デヴィッド・ギルモアが5人目のメンバーとして加入。1968年4月、サウサンプトンでの公演に向かう途中でバレットを「迎えに行かない」ことにしたのをきっかけに、バレットはバンドを離れた。ここからPink Floydは、ギターとキーボードを軸にした長尺の構成や、スタジオ技術を使った制作へと比重を移していく。
1970年の『Atom Heart Mother』(邦題『原子心母』)で初の全英1位を獲得し、1971年の『Meddle』では23分を超える「Echoes」を収録した。ポンペイの古代円形劇場で観客を入れずに演奏を撮影した映画『Live at Pompeii』も作られた。『Obscured by Clouds』では、初めて全米トップ50入りも果たしている。
1973年の『The Dark Side of the Moon』(邦題『狂気』)は、争い、欲、時間、死、心の病といったテーマを扱ったアルバムで、バレットの精神的な苦しみも着想の一部になっている。1972年5月31日から1973年2月9日にかけてアビー・ロード・スタジオで録音され、ビートルズの録音にも関わったアラン・パーソンズがエンジニアを担当した。「The Great Gig in the Sky」の歌詞のないボーカルは、セッション・シンガーのクレア・トーリーが「言葉ではなく感情を表現してほしい」と頼まれて即興で歌ったもので、報酬は30ポンドだった(2004年に印税をめぐる訴訟を起こし、和解している)。プリズムのジャケットはヒプノシスとストーム・ソーガソンのデザインで、ライトの「シンプルで大胆に」という要望に応えたものだ。
この作品は全米1位を記録し、ビルボード200には通算996週チャートインした。世界での売上は推定4500万枚にのぼる。
1975年の『Wish You Were Here』(邦題『炎〜あなたがここにいてほしい』)は、バレットの不在や音楽業界への違和感をテーマにしている。録音中、すっかり様子の変わったバレットが突然スタジオを訪れ、ソーガソンは「座ってしばらく話したが、彼は本当にはそこにいなかった」と振り返っている。「Have a Cigar」ではロイ・ハーパーがボーカルをとった。1977年の『Animals』では、オーウェルの『動物農場』を下敷きに、社会や政治の問題を扱った。バターシー発電所の上に豚のバルーンを浮かべたジャケット写真も話題になった。同年のモントリオールのオリンピック・スタジアム公演で、ウォーターズがファンに唾を吐きかける出来事が起き、観客との隔たりへの思いが『The Wall』の構想につながった。
1979年の『The Wall』では、戦争で父を失ったウォーターズの幼少期の体験などが強く反映された、彼のもっとも個人的な作品になった。「Another Brick in the Wall (Part 2)」は英米で1位を獲得した。制作時にはメンバー間の対立も深まり、リチャード・ライトは録音途中で解雇されている。ツアーではメンバーが別々のキャンピングカーで移動し、そのドアを互いに反対側に向けて停めていたという。
1983年の『The Final Cut』は、実質的にウォーターズのソロ作に近い内容とされる。ウォーターズは1985年に脱退し、ピンク・フロイドを「出がらし(spent force)」と呼んで、ほかのメンバーがバンド名を使えないよう法的な解散を求めた。1987年の和解で、ギルモアとメイスンがバンド名を使い続ける権利を、ウォーターズが『The Wall』の権利を得た。以降は、ギルモアとメイスンを中心に活動が続き、『A Momentary Lapse of Reason』や『The Division Bell』が発表された。
2005年のLive 8では、ウォーターズ、ギルモア、メイスン、ライトが24年ぶりに同じステージに立った。2006年にバレット、2008年にライトが亡くなっている。2014年には『The Division Bell』の未発表素材をもとにした『The Endless River』が発表され、これが最後のスタジオ・アルバムになっている。ギルモアはその後「ツアーは無いと断言できる」と話しており、理由は不仲ではなく自分の気持ちの問題だとしている。
2022年には、ロシアのウクライナ侵攻に抗議して、ギルモアとメイスンがウクライナのバンド、ブームボックス(BoomBox)のアンドリー・クリヴニュクの歌声を使ったシングル「Hey, Hey, Rise Up!」を発表した。2024年10月には、カタログをソニー・ミュージックに約4億ドルで売却することで合意している。
Pink Floydの特徴としてよく挙げられるのは、哲学的な歌詞、効果音の使い方、録音技術の実験、そして大規模なライヴ演出だ。早い時期から音響の移動や四方からの再生に取り組んでいて、ライヴでは「アジマス・コーディネーター」と呼ばれる装置も使っていた。
サウンドの軸は、デヴィッド・ギルモアのギターとリチャード・ライトのキーボードに置かれることが多い。サイケデリック・ロック、プログレッシブ・ロック、アート・ロック、スペース・ロック、シンフォニック・ロックなど、複数のスタイルにまたがる活動をしてきた。
総売上は2億5000万枚以上とされ、1996年にはロックの殿堂入りを果たし、2008年には「芸術と音楽の融合」への貢献でポーラー音楽賞を受賞した。レディオヘッド、ナイン・インチ・ネイルズ、ドリーム・シアターなど、多くのバンドに影響を与えたとされる。