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Nazzは、1967年にアメリカ・ペンシルベニア州フィラデルフィアで結成されたロック・バンドだ。ジャンルはロック、スタイルとしてはサイケデリック・ロックに分類されることが多い。活動期間は短く、1969年に解散している。
バンド名は、ヤードバーズの1966年の曲「The Nazz Are Blue」から取られた。メンバーには、トッド・ラングレン、オットー・カポビアンコ、トム・ムーニー、カーソン・ヴァン・オステン、ロバート・“ストゥーキー”・アントニ、リッチ・カーリー、デイヴ・パラン、デニス・バースらがいる。
Nazzは、ギターと作曲の中心だったトッド・ラングレンと、ベースのカーソン・ヴァン・オステンが中心になって始まった。2人はウッディーズ・トラック・ストップの出身で、その後にドラムのトム・ムーニー、ボーカル/キーボードのロバート・“ストゥーキー”・アントニが加わっている。
ラングレンは「ファッション・センスと音楽的な土台を、イギリス流に打ち出す」ことを目指したと語り、そろいのスーツまで用意したという。一方で、「当時はまだ誰も、大事な曲を書いたことも、曲を仕上げたこともなかった」とも認めている。
最初のライブは1967年6月18日、フィラデルフィアのタウン・ホールでのドアーズの前座だった。その後、マネージャーのジョン・カーランドが契約を買い取り、アシスタントのマイケル・フリードマンとともに、ティーン向け雑誌『16』や『Teen Beat』でモンキーズと並べる形で売り出している。
ただ、バンド側はザ・フーやクリームのような重い音を好んでいて、「新しいモンキーズ」と見られることは望んでいなかった。レーベルもモンキーズと同じColgemsではなく、SGCからのデビューを選んでいる。
マネジメント側は露出を絞り、ライブの機会も多くは与えなかった。ラングレンは「人に見られるためにパーティーやイベントに出かけていた」と振り返り、ストゥーキーはそのせいで「ステージの技術をずいぶん失った」と語っている。
1968年10月にデビュー作『Nazz』を発表した。録音はハリウッドのI.D.サウンドで行われた。プロデューサーのビル・トラウトの仕事にラングレンが満足せず、シングル「Open My Eyes」/「Hello It's Me」は自分でリミックスしている。ラングレンにとって、ミキシング卓を触ったのはこれが初めてだったという。
「Open My Eyes」はHot 100で112位、「Hello It's Me」は1969年に66位を記録した。
1969年1月にはイギリスで録音しようとしたが、労働許可の問題でミュージシャン・ユニオンに止められている。続く1969年5月の2作目『Nazz Nazz』は、もともと2枚組の予定だったが、ストゥーキーとムーニーの希望で1枚に圧縮された。
外された曲の多くは、ローラ・ニーロの影響を受けたラングレンのピアノ中心の曲だった。鍵盤主体の曲やラングレンの役割の拡大にメンバーが不満を抱き、ヴァン・オステンが脱退、ラングレンも離脱し、その後に残ったメンバーも短いツアーを経て解散した。ラングレンは、この時期を「短く、とても濃い時間だった」と表現している。カットされた曲は、解散後に『Nazz III』として発表された。
ラングレンはその後、ソロやユートピアで活動し、1972年の『Something/Anything?』で録り直した「Hello It's Me」が、1973年12月にHot 100で5位まで上がった。
カーソン・ヴァン・オステンはのちにウォルト・ディズニー・カンパニーでコミックなどの仕事を長く手がけた。ストゥーキーとムーニーは後にフューズで再び組み、のちにムーニーが抜けたフューズは、シック・マン・オブ・ヨーロッパを経て、ストゥーキー抜きでチープ・トリックになった。ヴァン・オステンは2015年12月、ストゥーキーは2023年10月に亡くなっている。
Nazzはパワー・ポップへの影響を語られることがある。「Open My Eyes」は、1972年の編集盤『Nuggets』に収録されていて、バングルスやキング・ギザード&ザ・リザード・ウィザードがカバーしている。