Vinyl Record Reviews
The Ravers(ザ・レイヴァーズ)は、1960年代にドイツ・ハンブルクを拠点に活動したビート/ロック・バンド、The Tonics(ザ・トニックス)が、廉価盤(バジェット・レーベル)向けに作品をリリースする際にもっとも頻繁に使用した別名義(スタジオ・エイリアス)だ。
母体となったThe Tonicsは1960年にハンブルクで結成された。初期はのちにAchim Reichel(アヒム・ライヒェル)やUdo Lindenberg(ウド・リンデンベルク)とも共演するギタリストのHelmuth Franke(ヘルムート・フランケ)がリーダーを務め、キールのOstseehalle(オストゼーハレ)に出演した最初のロックンロール・バンドとなったほか、ハンブルクの名門クラブ「Top Ten Club」や北ドイツ各地のダンスホール、遊覧船などで演奏しながら知名度を高めていった。
1963年にはPolydorと契約してデビュー・シングル「Baby, Baby Goodbye」を発表し、翌1964年にはギタリストLadi Geisler(ラディ・ガイスラー)のスタジオ・バンドとしても活動した。その後も本名義であるThe Tonicsとして、PolydorやMercury Recordsから『Hit Parade』(1965年)、『That's Rock'n Roll』(1968年)、『Bubble Gum Music』(1969年)などのアルバムを発表している。
1960年代後半、The TonicsはPolydorやMercuryでの活動と並行して、デパートやスーパーマーケットの廉価盤市場(Kaufhausmarkt)向けに、当時の英語圏のヒット曲(ビート、ロックンロール、サイケデリック・ロック、ソウル、ポップス)のカバーやオリジナル曲を大量にスタジオ録音した。契約上の理由からこれらの作品にはバンド写真が載せられず、参加ミュージシャンの個人名も伏せられたまま複数の覆面名義でリリースされた。
なかでもPolydor傘下のハンブルクの廉価盤レーベル「Tip(Tip-Schallplattenproduktion)」からは、The Ravers名義で8枚のオリジナルLPと複数のシングルが発表されている。
解散後の1978年には、Phonogram傘下の廉価盤レーベルZebraから、旧録音をまとめたコンピレーションLP『Rock'n'Roll Party』もリリースされた。
The Raversの録音で中心的な役割を担ったのが、Manfred Oberdörffer(マンフレート・オーバードゥルファー)とCisco Berndt(シスコ・ベルント)だ。
Manfred Oberdörffer(1944年生まれ)は、1965年から1970年にかけてThe TonicsおよびThe Raversの中心人物としてボーカル、ギター、ソングライティングを担った。その後は「Tony(トニー)」あるいは「Tony Tornado(トニー・トルナード)」の芸名でソロ歌手に転向し、「Mädchen mit roten Haaren」などのヒット曲によってドイツのシュラーガー/ポップ・シーンで成功を収めている。
Günter “Cisco” Berndt(1942年12月12日ハンブルク・ザンクト・パウリ生まれ - 2014年12月30日没)は、1959年から「Cisco and the Houserockers」、1961年から「Cisco and his Dynamites」を率いてハンブルクのTop Ten Club、Kaiserkeller、Star-Clubなどで活躍していたギタリスト/シンガーだ。1964年にThe Raversのスタジオ録音に合流し、1965年発表の『Beat Party mit den Ravers』収録の2曲でリード・ボーカルとギターを担当した。
その後は1972〜1973年にドイツを代表するカントリー・バンド「Truck Stop(トラック・ストップ)」の創設メンバーとなり、2013年末に退団するまで約40年間にわたり40枚以上のアルバムを発表した。
The TonicsはThe Ravers以外にも、EuropaやTipなどの廉価盤レーベル向けに「The Soho Gamblers」(『Beat Beat from Carnaby Street』1967年)、「The Spots」(『Beat Beat Beat』1967年、『Beat à Gogo』1968年)、「Buster Churchill and the Beat-Tigers」、「The Lipsticks」、「Phil Morris & His Tigers」、「The Rock Ravers」(『Rock Maschine』1969年)、「Ten O'Clock Bubble Gum Train」(『High Bubble Gum』1969年)、「Automatic Blues Inc.」(『Rock'n Blues』1970年)、「Memphis Brown」、「Lightning Soul Players & The Happy Beat Boys」など十数種類にのぼる変名を使い分けていた。バンドは1970年ごろに解散したが、彼らが残したガレージ・ビートやサイケデリック・ロック期の録音は、のちにドイツ産60年代ビート/ガレージ・コレクターの間で再評価されている。