Fania All Stars

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Fania All Stars

Fania All Starsとは

Fania All Stars(ファニア・オールスターズ)は、ニューヨークのラテン系移民コミュニティから誕生し、世界中に「サルサ(Salsa)」の熱狂を巻き起こした伝説のスーパーグループだ。1964年にドミニカ出身のバンドリーダー/フルート奏者ジョニー・パチェーコ(Johnny Pacheco)と、イタリア系アメリカ人弁護士のジェリー・マスッチ(Jerry Masucci)が設立した独立系レーベル「ファニア・レコード(Fania Records)」に所属するトップ・アーティストたちを結集して結成された。

アフロ・キューバン・リズムとプエルトリコ系の熱気を土台に、ジャズの即興性やソウル/ファンク、ロックのダイナミズムを融合させたその怒涛のアンサンブルは、ラテン音楽史上屈指の破壊力と求心力を誇る。

結成の背景と豪華な参加メンバー

1960年代のニューヨークでは、エル・バリオ(スパニッシュ・ハーレム)を中心にブーガルーやラテン・ソウルが大きな盛り上がりを見せていた。ファニア・レコードはその才能ある若手ミュージシャンたちを次々とスカウト。個々に独立したバンドを率いるトップ・リーダーたちを一堂に会させ、レーベルの顔として結成されたのがFania All Starsである。

音楽監督を務めたジョニー・パチェーコのもと、レイ・バレット(コンガ)、ウィリー・コローン(トロンボーン)、ラリー・ハーロウ(ピアノ)、ボビー・バレンティン(ベース)、ロベルト・ロエナ(ボンゴ)、パポ・ルッカ(ピアノ)ら超一流のプレイヤーが集結。さらにフロントを飾るボーカル陣には、「サルサの女王」セリア・クルース(Celia Cruz)、「歌い手の中の歌い手」エクトル・ラボー(Héctor Lavoe)、チェオ・フェリシアーノ、イスマエル・ミランダ、ルベン・ブラデスといった黄金期の巨星たちがずらりと顔を揃えた。

伝説のチーター・クラブとヤンキー・スタジアムの熱狂

Fania All Starsの名を世界に轟かせた決定的な転換点が、1971年8月26日にマンハッタンの「チーター・クラブ(Cheetah Club)」で行われた公演である。超満員のフロアで繰り広げられた熱狂的なパフォーマンスは、レオン・ギャスト監督の金字塔的ドキュメンタリー映画『Our Latin Thing (Nuestra Cosa)』として映像化され、二枚組ライブ盤『Live at the Cheetah』と共に、ニューヨーク発の「サルサ」という新しいアイデンティティとカルチャーを全世界に決定づけた。

勢いに乗る彼らは1973年、4万人以上の観客を集めてニューヨークの「ヤンキー・スタジアム」でメガ・コンサートを開催。レイ・バレットと客演のモンゴ・サンタマリアによる壮絶なコンガ・バトルに興奮した群衆がフィールドに押し寄せ、ライブが中断されるほどの社会現象となった(この音源は1975年に『Live at Yankee Stadium』として発売され大ヒットを記録)。さらに1974年には、モハメド・アリ対ジョージ・フォアマンの世界ヘビー級タイトルマッチ(キンシャサの奇跡)に連動したアフリカ・ザイールでの巨大音楽祭にも出演し、地球規模の熱狂を巻き起こした。

クロスオーバーと後世への不滅の影響力

1970年代中盤以降は、ビリー・コブハム、マヌ・ディバンゴ、ホルヘ・サンタナらジャズ/ファンク/ロック界のトップ・アーティストをゲストに招き、コロムビア・レコードとの提携などを通じて積極的なクロスオーバーを展開した。

Fania All Starsは、一地域のローカルな民族音楽と見なされがちだったラテン音楽を、人種や国境を超えてアリーナやスタジアムを満員にする世界的ムーヴメント「サルサ」へと押し上げた。彼らが遺したタイトなホーン・リフ、爆発的なパーカッション・ブレイク、そして誇りに満ちた歌声は、現代のラテン・ジャズやトロピカル・ミュージック、クラブ・シーンに至るまで、永遠のバイブルとしてリスペクトされ続けている。

ジャンル・スタイル

Funk / Soul Jazz Latin Rock Afro-Cuban Funk Latin Jazz Salsa
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