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ボビー・ブラウン(Bobby Brown、本名Robert Barisford Brown、1969年2月5日生まれ)は、アメリカ・マサチューセッツ州ボストン出身のシンガー、ソングライター、ダンサーである。1980年代前半にボーカル・グループのニュー・エディション(New Edition)の結成メンバーとしてキャリアをスタートさせ、ソロ転向後はR&Bのメロディとヒップホップの鋭いビートを融合させた「ニュージャック・スウィング(New Jack Swing)」を全世界に浸透させた第一人者として絶大な人気を博した。
ボストンのオーチャード・パーク団地で育ったブラウンは、幼なじみのマイケル・ビヴンス、リッキー・ベルらと共にニュー・エディションを結成した。プロデューサーのモーリス・スターに見出され、1983年の「Candy Girl」や1984年の「Cool It Now」「Mr. Telephone Man」などの大ヒットで瞬く間にティーン・アイドルとしての地位を確立する。しかしグループ内での方向性の違いやマネジメントとの対立などを経て、1985年末にグループを離脱しソロ活動への道を歩み始めた。
1986年にMCAレコードからリリースしたソロ・デビュー・アルバム『King of Stage』からは、キャメオ(Cameo)のラリー・ブラックモンがプロデュースを手がけたミディアム・バラード「Girlfriend」が全米R&Bチャートで1位を獲得し、ソロ・シンガーとしてのポテンシャルを証明した。
1988年、ボビー・ブラウンのキャリアを決定づけるセカンド・アルバム『Don't Be Cruel』がリリースされた。本作では、当時の新進気鋭のプロデュース・チームであったL.A.リード&ベイビーフェイス(L.A. Reid & Babyface)と、ニュージャック・スウィングの創始者テディ・ライリー(Teddy Riley)を大々的に起用した。
テディ・ライリーが手がけた「My Prerogative」は、世間のバッシングに対するアンサー・ソングとして自らの意志を力強く歌い上げ、Billboard Hot 100で見事全米1位を記録した。さらに、軽快なステップとキャッチーなフックが際立つ「Don't Be Cruel」(全米8位)、「Every Little Step」(全米3位、グラミー賞最優秀男性R&Bボーカル・パフォーマンス賞を受賞)、「Roni」(全米3位)、「Rock Wit'cha」(全米7位)と、アルバムからシングルが立て続けにメガヒットを記録した。
『Don't Be Cruel』は全米アルバム・チャートで通算6週にわたって首位を獲得し、1989年の全米年間アルバム・チャートでも1位に輝いた。アメリカ国内だけで1,200万枚を超えるセールスを記録し、80年代末のポップ・ミュージック界を席巻する社会現象となった。
1989年には映画『ゴーストバスターズ2(Ghostbusters II)』のテーマ曲「On Our Own」を担当し、全米チャート2位を記録するとともにカメオ出演も果たした。1992年のサード・アルバム『Bobby』からは、「Humpin' Around」(全米3位)や「Good Enough」などのヒット曲が誕生し、全世界で数百万枚を売り上げた。同年にホイットニー・ヒューストンと結婚したことでも大きな注目を集めた。
1996年にはニュー・エディションの再結成アルバム『Home Again』に参加し全米1位を獲得したほか、1997年のソロ作『Forever』の発表後もライブ活動やテレビ出演などを継続した。2000年代以降はニュー・エディションのメンバー(ジョニー・ギル、ラルフ・トレスヴァントら)との「Heads of State」名義でのツアーや、R&Bシーンへの継続的な貢献により、音楽界における先駆者としての再評価が進んでいる。
ボビー・ブラウンは、ストリートのダンスカルチャーと最先端のヒップホップ・ビート、そして洗練されたソウル/R&Bボーカルを高次元で結合させた「歌って踊れる男性R&Bエンターテイナー」の完成形を提示した。彼の確立したスタイルやアティチュードは、アッシャー(Usher)やジャスティン・ティンバーレイク(Justin Timberlake)、クリス・ブラウン(Chris Brown)ら後世のポップ/R&Bスターたちに決定的な影響を与えている。