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Peter Jacques Band(ピーター・ジャック・バンド)は、1978年にイタリアで結成されたスタジオ・ディスコ・プロジェクトだ。フランス領グアドループ出身の実業家・エグゼクティヴ・プロデューサーのジャック・フレッド・ペトリュス(Jacques Fred Petrus、1948年2月22日〜1987年6月8日)と、イタリア・ボローニャ音楽院出身のピアニスト/作編曲家・プロデューサー、マウロ・マラヴァージ(Mauro Malavasi、1957年3月21日生まれ)を中心に立ち上げられた。名前の「Peter Jacques」は実在の人物名ではなく、ペトリュス自身の名(Petrus=Peter、Jacques)をもじったもので、イタリア制作のディスコ/ブギー音楽の先駆的存在として知られる。
ジャック・フレッド・ペトリュスは、パリのクラブでDJとしてR&Bやソウルに親しんだあと、1970年代初頭にミラノへ移住した。その後、ボローニャでマウロ・マラヴァージと出会い、ディスコ制作会社のGoody Music Productions(GMP)とGoody Music Recordsを設立している。1978年に第1弾プロジェクト「Macho」のアルバム『I'm a Man』(スペンサー・デイヴィス・グループの17分半におよぶディスコ・カヴァー)がヒットしたのに続き、米国市場を本格的に狙うプロジェクトとしてPeter Jacques Bandが始動した。
実際の制作では、ダヴィデ・ロマーニ(Davide Romani、ベース)、パオロ・ジャノリオ(Paolo Gianolio、ギター)、ルディ・トレヴィージ(Rudy Trevisi、サックス)らボローニャの一流スタジオ・ミュージシャンが演奏の中核を担い、ヴォーカル面ではVon Gretchen Shepard、Dianne Washington、George Aghedo、Sandi Bassらが関わった。
ファースト・アルバム『Fire Night Dance』は1978年末に発表され、米国では1979年初頭に名門Prelude Recordsから配給された。録音はボローニャのFonoprint Studios、ミックスはニューヨークのSigma Sound Studiosで行われている。
この作品では、マラヴァージの緻密なオーケストレーションとスタジオ・ミュージシャンによる生演奏が組み合わさり、収録曲の「Walking on Music」「Fire Night Dance」「Fly with the Wind」「Devil's Run」の全4曲が、アルバム丸ごと米Billboardのディスコ・チャート(Hot Dance Club Play)で最高6位を記録した。シンセ中心のイタロ・ディスコとは一線を画し、米国のフィリー・ソウルやChicに通じる洗練されたファンク/ブギー・グルーヴをイタリアの職人技で構築した点が高く評価されている。
1979年にペトリュスがニューヨークに「Little Macho Music」のオフィスを開設すると、1980年にはセカンド・アルバム『Welcome Back』を発表した。ここでは、ニューヨークで録音されたヴォーカルに、無名時代のルーサー・ヴァンドロス(Luther Vandross)やジョスリン・ブラウン(Jocelyn Brown)がバック・コーラスとして参加している。収録曲には「Is It It?」「Counting on Love (One-Two-Three)」「The Louder」「Mighty Fine」があり、米ディスコ・チャートで57位を記録した。
さらに、このときの制作チーム(ペトリュス、マラヴァージ、ロマーニ、ジャノリオ)とヴァンドロス/ブラウンの布陣がそのまま母体となって同1980年に結成されたのが、伝説的ポスト・ディスコ・グループ「Change(チェンジ)」(『The Glow of Love』)であり、1981年には「The B.B. & Q. Band」や「High Fashion」へと派生していった。
1985年には、ペトリュスの新レーベルRenaissance International(およびPolydor)からサード・アルバム『Dancing in the Street』を発表した。この時期はエレクトロ・ファンクやシンセ・ブギーの色が強くなり、シングルには「Going Dancin' Down the Street」「Drive Me Crazy」「Mexico」などがある。しかし、米国内国歳入庁(IRS)との税務トラブルなどからペトリュスは故郷のグアドループへ逃れ、1987年6月8日に自宅で銃撃されて39歳で暗殺されたため、プロジェクトは自然消滅した。
2007年には、ドイツのプロデューサー、パトリック・アラヴィのプロジェクト「Turbofunk」が「Going Dancin' Down the Street」をサンプリングしたハウス・トラック「Gotta Move」を発表し、ヨーロッパ各国のダンス・チャートでヒットを記録するなど、イタリア産ディスコ/ブギーが米国市場を切り拓いた重要パイオニアとして再評価されている。