Vinyl Record Reviews
Buariは、ガーナの首都アクラ出身のミュージシャン/プロデューサー、アルハジ・シディク・ブアリ(Alhaji Sidiku Buari)の名義である。陸上選手として先に実績を残し、その後に音楽へ進んだ経歴を持つ。
音楽活動の前、Buariはガーナ代表の短距離走選手として活動していた。1963年にはセネガルのダカールで行われた大会で400m走の銀メダルを獲得し、西アフリカ競技大会では金メダルと銀メダルを獲得している。さらに1965年には、コンゴ共和国ブラザヴィルで開催されたオール・アフリカ・ゲームズで、4×400mリレーのガーナ代表として銅メダルを獲得した。
こうした競技実績をきっかけに、1966年に音楽奨学金を得てアメリカへ渡った。ニューヨークのThe York Institute(New York School of Music)で音楽を学び、シカゴのLa Salle Universityではインテリア装飾も学んでいる。
在学中、Buariは野球にも熱中し、チームの練習や試合で仲間を鼓舞するために、母国のガ語(Ga language)で歌やチャントを歌っていた。これを耳にした音楽教師のIrvin Mechanicが、リズム・セクションをつけて録音することを提案したのが、レコーディングの出発点になった。
このデモが反響を呼び、1975年にはRCA Victorのスタジオでデビュー・アルバム『Buari』を録音している。代表曲として「Karam Bani」が知られ、レコーディングにはドラムスのバーナード・パーディ(Bernard Purdie)やベースのゴードン・エドワーズ(Gordon Edwards)らニューヨークのセッション・ミュージシャンが参加し、のちにシュガーヒル・ギャング「Rapper's Delight」やキャメオ、B.T.エクスプレスなどのセッションを手がけるエンジニアのSteve Jeromeが録音を担当した。続いてPolydorから、西アフリカのポリリズムやガ語の歌唱とニューヨークのファンク/ディスコ・サウンドを掛け合わせた『Disco Soccer』(1979年)などを発表した。
Buariはその後ガーナに帰国し、通算15枚以上のアルバムを発表した。1984年には、ガーナ初の商業ミュージック・ビデオとされる「Ayololo」を制作している。1985年のアルバム『Africa Responds to the World』では、ガーナの批評家協会(ECRAG)の賞を受けた。
音楽活動だけでなく、映画館「Sid Theatre」やナイトクラブ「Funky Town Night Club」を設立したことでも知られる。さらに、ダンス・バンド「The SB Express」(のちの「The Buari Ensemble」)を率い、ハイライフ/レゲエ歌手のK. K. Kaboboや、キーボーディストのKofi Aduらを輩出した。
1990年にはガーナ音楽家組合(MUSIGA)の理事に就任し、1999年から2007年まで同組合の会長を務めた。あわせて国際音楽家連盟(FIM)の副会長も歴任している。
2019年には、ガーナの音楽・映画産業への功績により、Pan-African Republic Honorary Award Societyから生涯功労賞を授与された。近年では、1970年代のニューヨーク録音作品がイギリスのレーベルBBE(Barely Breaking Even)から再発されている。家族には女優の娘ナディア・ブアリ(Nadia Buari)、2002年ミス・ガーナの娘シャイダ・ブアリ(Shaida Buari)、元サッカー選手の息子マリク・ブアリ(Malik Buari)がいる。