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James Mtume(ジェームズ・エムトゥーメイ、出生名:James Forman)は、1946年1月3日にペンシルベニア州フィラデルフィアで生まれ、2022年1月9日にニュージャージー州サウス・オレンジで76歳で亡くなったアメリカのジャズ/R&Bミュージシャン、ソングライター、レコード・プロデューサー、社会活動家、ラジオ・パーソナリティだ。実父はジャズ・サックス奏者のジミー・ヒース(Jimmy Heath)であり、叔父のパーシー・ヒース(ベース)、アルバート・“トゥーティ”・ヒース(ドラムス)とともに名門グループ「ヒース・ブラザーズ(The Heath Brothers)」を成す音楽一家の血を引いている。
母バーサと、継父で地元のジャズ・ピアニストだったジェームズ・“ヘン・ゲイツ”・フォーマンのもとで育ったMtumeは、幼少期からピアノとパーカッションを学んだ。10代には競泳でも実績を残し、黒人として初めて全米アマチュア体育連合(AAU)の中部大西洋選手権・背泳ぎで優勝した記録もある。
1966年に競泳の奨学金を得てカリフォルニア州のパサデナ・シティ・カレッジへ進学すると、ハキム・ジャマルとマウラナ・カレンガが設立した黒人解放組織「US Organization」に参加した。この時期に、カレンガからスワヒリ語で「使者(メッセンジャー)」を意味する「Mtume」という名前を授かり、1966年の第1回クワンザ祭にも参加している(1967年にはカレンガの語録『The Quotable Karenga』を共同編集した)。
1969年にニューヨークへ戻った後は、叔父アルバート・ヒースの初リーダー作『Kawaida』(1969年録音、父ジミー・ヒースやハービー・ハンコック、ドン・チェリーも参加)でプロとしての活動を始める。その後、マッコイ・タイナー(『Asante』)、フレディ・ハバード、ソニー・ロリンズ、ファラオ・サンダース(『Wisdom Through Music』『Love in Us All』)、ロニー・リストン・スミス(『Astral Traveling』)、ガトー・バルビエリらの作品にパーカッショニストとして参加した。
1971年には、ブルックリンの黒人文化芸術センター「The East」で総勢15名を集めた「Mtume Umoja Ensemble」を率い、『Alkebu-lan: Land of the Blacks』(1972年、Strata-East Records)をライヴ録音した。ゲイリー・バーツ、スタンリー・カウエル、リロイ・ジェンキンス、バスター・ウィリアムス、ビリー・ハート、アンディ・ベイらが参加したこの作品は、スピリチュアル・ジャズとフリー・ジャズの重要作として語られることが多い。1974年にはジーン・カーンやディー・ディー・ブリッジウォーターらを迎えた第2作『Rebirth Cycle』(1977年、Third Street Records)も録音している。
1971年から1975年にかけては、エレクトリック期のマイルス・デイヴィスのバンドでパーカッショニストを務めた。『On the Corner』(1972年)、『In Concert: Live at Philharmonic Hall』(1973年)、『Big Fun』(1974年)、『Get Up with It』(1974年)、『Dark Magus』(1974年)に加え、1975年の大阪フェスティバルホール公演を収めた『Agharta』(1975年)と『Pangaea』(1976年)まで、マイルスが長期休養に入る直前の重要作すべてに貢献した。
このマイルス・バンドで出会ったギタリストのレジー・ルーカス(Reggie Lucas)とは、その後のソングライティングでも組むことになる。
Mtumeとレジー・ルーカスは「Mtume & Lucas」として作曲・制作のコンビを組み、1977年から1982年ごろにかけて多くの曲を手がけた。代表曲には、ロバータ・フラック&ダニー・ハサウェイの「The Closer I Get to You」(1978年、Billboard Hot 100で2位・R&Bチャート1位)や「Back Together Again」(1980年、R&B 3位・全英3位)、フィリス・ハイマンの「You Know How to Love Me」(1979年)などがあり、ルー・ロウルズやスピナーズの作品もプロデュースした。
なかでもステファニー・ミルズに提供・プロデュースした「Never Knew Love Like This Before」(1980年、Hot 100で6位・全英4位)は大きなヒットになり、第23回グラミー賞で最優秀R&Bソング賞を受賞した。
1978年には、圧倒的な歌唱力を持つ女性ヴォーカリストのタワサ・エイジー(Tawatha Agee)、バジル・フィアリントン(ベース)、フィリップ・フィールド(キーボード)、エド・ムーア(ギター)、レイモンド・ジャクソン(パーカッション)らとともに自身のR&B/ファンク・バンド「Mtume」を結成し、Epic Recordsから『Kiss This World Goodbye』(1978年)、『In Search of the Rainbow Seekers』(1980年)を発表した。レジー・ルーカス脱退後、Mtumeはドラムマシン(TR-808など)とシンセサイザーを導入し、音数を極限まで削ぎ落とした独自のミニマルなヘヴィ・ファンク・スタイル(本人は「Sophisti-Funk[ソフィスティ・ファンク]」と呼んだ)を確立した。
1983年発表のサード・アルバム『Juicy Fruit』の表題曲「Juicy Fruit」は、Billboard R&Bシングル・チャートで8週連続1位を記録する大ヒットとなった。続く1984年の『You, Me and He』の表題曲もR&Bチャート2位を記録し、1986年の『Theater of the Mind』では「Breathless」(R&B 9位)のヒットとともに、MTV時代の商業主義に警鐘を鳴らす「P.O.P. Generation」などの社会派ナンバーも発表した。
「Juicy Fruit」の官能的で余白を生かしたグルーヴは、ヒップホップおよびR&Bで最も多くサンプリングされた楽曲のひとつとなった。特に1994年にノトーリアス・B.I.G.(The Notorious B.I.G.)のデビュー・シングル「Juicy」で大胆にサンプリングされたのをはじめ、ウォーレン・G、アリシア・キーズ(「You Don't Know My Name」など)、キーシャ・コール(「Let It Go」)、ジェニファー・ロペス、ウィル・スミスら数多くのアーティストに引用された。
80年代後半以降は、音楽業界の商業化から距離を置き、ロイ・エアーズ(『You Might Be Surprised』)やリヴァート(LeVert『Bloodline』)のプロデュース、1990年代の人気テレビドラマ『New York Undercover』(1994年〜1998年)の音楽監督、ニューヨークのラジオ局WBLSやWLIBでのパーソナリティ活動などに携わった。なお、息子のダム・エムトゥーメイ(Damu Mtume)とファ・エムトゥーメイ(Fa Mtume)も音楽プロデューサー/ミュージシャンとして活動している。