O.V. Wright

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O.V. Wright

O.V. Wrightとは

O.V. Wright(O・V・ライト、本名: Overton Vertis Wright)は、1939年10月9日にテネシー州メンフィス近郊のレノウで生まれ、1980年11月16日にアラバマ州モービルで41歳で亡くなったサザン・ソウル/ディープ・ソウルのシンガーだ。ゴスペルを土台にした圧倒的な歌唱で知られ、ジェームス・カー(James Carr)と並んで1960年代から70年代のディープ・ソウルを代表する歌い手として称えられている。

ゴスペルからソウルへ

幼いころから教会で歌い始め、高校在学中の1956年には名門ゴスペル・グループ「The Sunset Travelers」にリード・シンガーとして加入し、ヒューストンのドン・ロビー(Don Robey)が主宰するPeacock Recordsに録音を残した。その後は別のゴスペル・グループ「The Harmony Echoes」でも活動している。

世俗ソウルへの転向には、のちにジェームス・カーも育てたソングライター/マネージャーのルーズベルト・ジャミソン(Roosevelt Jamison)が関わった。1964年、メンフィスのGoldwax Recordsからジャミソン作のバラード「That's How Strong My Love Is」でソロ・デビューすると、この曲は大きな反響を呼び、直後にオーティス・レディングやローリング・ストーンズにもカヴァーされるスタンダードとなった。

Back Beat Records時代とウィリー・ミッチェルとの黄金タッグ

「That's How Strong My Love Is」のヒット直後、ゴスペル時代(The Sunset Travelers)にPeacockと結んでいた専属契約がまだ有効であるとしてオーナーのドン・ロビーが訴訟を起こしたため、ライトはロビー傘下のR&B部門であるBack Beat Recordsへ移籍することになった。ここでの活動がO.V. Wrightの評価を決定づけることになる。

  • 1965年「You're Gonna Make Me Cry」: 米Billboard R&Bチャート最高6位、Hot 100で86位
  • 1967年「Eight Men, Four Women」: R&Bチャート4位、Hot 100で67位
  • 1970年「Ace of Spades」: R&B 11位、Hot 100で54位
  • 1971年「A Nickel and a Nail」: R&B 19位

1960年代後半からは、ドン・ロビーがメンフィスのRoyal Recording Studiosのプロデューサーであるウィリー・ミッチェル(Willie Mitchell)に制作を委託したことで、ハイ・リズム・セクション(ホッジス兄弟やハワード・グライムス)とメンフィス・ホーンズをバックにした重厚なメンフィス・ソウル・サウンドが確立された。この時期のミッチェルとライトの共同作業は、後のアル・グリーンのブレイクにつながる「ハイ・サウンド」の直接の実験場ともなった。Back Beatからは『(If It Is) Only for Tonight』(1965年)、『8 Men and 4 Women』(1967年)、『Nucleus of Soul』(1968年)、最高傑作と評される『A Nickel and a Nail and Ace of Spades』(1971年)、『Memphis Unlimited』(1973年)といった名盤を次々と発表した。

Hi Records移籍後と1979年の初来日公演、早すぎる死

1970年代半ばには薬物問題による服役で一時活動が中断したが、出所後の1975年にウィリー・ミッチェルが率いるHi Recordsへ正式に移籍した。ここでは『Into Something (Can't Shake Loose)』(1977年)、『The Bottom Line』(1978年)、『We're Still Together』(1979年)の3枚のスタジオ・アルバムを発表し、「Into Something (Can't Shake Loose)」「Precious, Precious」「I Don't Do Windows」などで円熟した歌唱を聴かせた。

1979年9月には、ハイ・リズム・セクション(ティーニー・ホッジス、チャールズ・ホッジス、リロイ・ホッジス、ハワード・グライムス)を従えて初来日公演も実現した。東京・中野サンプラザ(9月17日)と渋谷公会堂(9月29日)での熱演を収めたライヴ盤『O.V. Wright Live』(1979年、日本ビクターより発売)は、サザン・ソウルのライヴ名盤として語り継がれている。

しかし長年の薬物依存による健康悪化から心臓発作を起こし、1980年11月16日にアラバマ州モービルで41歳の若さで急逝した。長らく墓標のない墓に埋葬されていたが、2008年にファンや支援者による「O.V. Wright Memorial Fund」によって墓石が建立され、2024年にはブルースの殿堂(Blues Hall of Fame)入りを果たしている。

声の特徴と後世への影響

ゴスペル由来の激しいシャウトと深い哀愁を帯びたバリトン・ヴォイスは、ロバート・クレイ、オーティス・クレイ、タジ・マハール、そして晩年のライトのバンドマスターを務めたジョニー・ロウルズら多くのブルース/ソウル・シンガーに多大な影響を与えた。また、ウータン・クラン(Wu-Tang Clan)のRZAをはじめとするヒップホップ・プロデューサーからも熱狂的に支持され、『Nucleus of Soul』収録の「Motherless Child」がゴーストフェイス・キラーの1996年の代表曲「Motherless Child」(映画『サンセット・パーク』およびアルバム『Ironman』収録)で、「Let's Straighten It Out」がウータン・クランの「America」で、「Ace of Spades」がスリム・サグらの楽曲でサンプリングされている。

ジャンル・スタイル

Funk / Soul Soul
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