Ray Barretto

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Ray Barretto

Ray Barrettoとは

Ray Barretto(レイ・バレット、本名:Raymundo Barretto Pagán)は、1929年4月29日にニューヨーク・ブルックリンで生まれ、2006年2月17日にニュージャージー州ハッケンサックで76歳で亡くなったコンガ奏者、パーカッショニスト、バンドリーダー、作曲家、プロデューサーだ。強靭かつ正確な打撃から「El Manos Duras(ハード・ハンズ=硬い手)」の異名をとった、ラテン・ジャズおよびサルサ史における最高峰の巨匠のひとりとして知られる。

出自とジャズへの入り口

バレットはプエルトリコ系の家庭に生まれ、ブルックリンやスパニッシュ・ハーレム、ブロンクスで育った。1946年、17歳で米陸軍に入隊し、西ドイツ駐留中にディジー・ガレスピーとチャノ・ポソ(Chano Pozo)によるアフロ・キューバン・ジャズの金字塔「Manteca」(1947年)を聴いて衝撃を受けたことが、コンガ奏者を志すきっかけになった。

1949年の除隊後はハーレムのジャム・セッションに通い詰め、チャーリー・パーカー、マックス・ローチ、アート・ブレイキーらと共演した。米国生まれのパーカッショニストとして、モダン・ジャズの現場にコンガを本格的に持ち込んだ先駆者として扱われている。

ティト・プエンテ楽団からセッション・ミュージシャンへ

1957年にはモンゴ・サンタマリアの後任としてティト・プエンテの楽団に加入し、プエンテの最高傑作『Dance Mania』(1958年)などに参加して1960年まで4年間在籍した。その後はBlue Note、Prestige、Riverside、Columbiaといった名門ジャズ・レーベルのファースト・コール・セッションマンとして重宝され、ルー・ドナルドソン、レッド・ガーランド、ジーン・アモンズ、エディ・“ロックジョウ”・デイヴィス、ソニー・スティット、ウェス・モンゴメリー、さらにはケニー・バレルの名盤『Midnight Blue』(1963年)など膨大なハード・バップ/ソウル・ジャズ作品に参加している。

自身の楽団と「El Watusi」

1961年に自身の楽団「Charanga Moderna(チャランガ・モデルナ)」を結成し、Riversideから初リーダー作『Barretto para bailar』(1961年)を発表した。1962年にTico Recordsへ録音した「El Watusi」は、翌1963年に米Billboard Hot 100で最高17位を記録し、アメリカ市場で最も成功したパチャンガ・ナンバーとなった。1965年にはUnited Artists傘下のUA Latinoと契約し、R&Bとラテンを融合させたブーガルー(Boogaloo)や初期サルサのスタイルを探求していった。

Fania期とサルサの展開

1967年にニューヨークのFania Records(ファニア・レコード)へ移籍すると、翌1968年にリード・ヴォーカルにアダルベルト・サンティアゴ(Adalberto Santiago)を迎えて発表した移籍第1弾アルバム『Acid』で、ラテン・ソウル/ブーガルーと即興性の強いデスカルガを融合させた(収録曲「A Deeper Shade of Soul」は1991年にオランダのミクスチャー・バンド、Urban Dance Squadがサンプリングして全米21位のヒットを記録)。同じく1968年の結成時から「ファニア・オール・スターズ(Fania All-Stars)」の中核メンバーおよび音楽監督のひとりとしても活躍し、映画『Our Latin Thing(ヌエストラ・コサ)』(1972年)では代表曲「Cocinando」(『Que viva la música』収録)がオープニングを飾った。

1972年末にはサンティアゴらバンドの主要メンバーが独立して「Típica 73」を結成するという危機に見舞われたが、バレットは新たにティト・アレンをヴォーカルに迎えて復活作『Indestructible』(1973年)を発表した。さらに、若き日のルベン・ブラデス(Rubén Blades)とティト・ゴメスをツイン・ヴォーカルに起用した『Barretto』(通称『Guararé』、1975年)ではグラミー賞に初ノミネートされている。また、ローリング・ストーンズ(『It's Only Rock 'n Roll』)やビージーズ、アヴェレイジ・ホワイト・バンド、クロスビー、スティルス&ナッシュらのロック/ポップスのセッションにも招かれた。

ラテン・ジャズへの回帰と後年の活動・栄誉

1976年以降はAtlantic Recordsでフュージョンやクロスオーヴァー寄りの作品(グラミー賞ノミネートの『Tomorrow: Barretto Live』など)を発表し、1979年にはCTIから『La Cuna』、Faniaからサルサの名盤『Rican/Struction』(『Latin N.Y.』誌の最優秀アルバム賞受賞)を出した。1989年にはセリア・クルース、アダルベルト・サンティアゴと共演した『Ritmo en el corazón』で、第32回グラミー賞の最優秀トロピカル・ラテン・パフォーマンス賞を受賞している。

1992年には、ストレート・アヘッドなアフロ・キューバン・ジャズを追求する6人組アンサンブル「New World Spirit」を結成し、Concord PicanteやBlue Noteから『Handprints』(1991年)、『Ancestral Messages』(1992年)、『Taboo』(1994年)、『My Summertime』(1995年)、『Contact!』(1997年)など質の高いジャズ作品を発表した。1999年には国際ラテン音楽の殿堂(International Latin Music Hall of Fame)入りを果たし、死去の直前である2006年1月には米国立芸術基金(NEA)からジャズ界最高の栄誉である「NEA Jazz Masters」を授与された。なお、息子のクリス・バレット(Chris Barretto)はプログレッシヴ・メタル・バンドのPeripheryやMonumentsの元ヴォーカリスト/サックス奏者として知られている。

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