Vinyl Record Reviews
ルース・コープランド(Ruth Copeland)は、イギリス・カウンティ・ダラム出身のシンガー・ソングライター、音楽プロデューサーである。1960年代半ばにアメリカ・デトロイトへ移住し、モータウンの伝説的ソングライティング・トリオであるホーランド=ドジャー=ホーランド(Holland-Dozier-Holland)が設立した名門インヴィクタス・レコーズ(Invictus Records)に所属した。ジョージ・クリントン率いるパーラメントおよびファンカデリックの面々と深く結びつき、初期Pファンク(Parliament-Funkadelic)史において極めてユニークかつ決定的な足跡を残した。
英国で生まれ育ったコープランドは、1965年にデトロイトへ渡り、モータウンやインヴィクタスで敏腕プロデューサーとして名を馳せたジェフリー・ボウエン(Jeffrey Bowen)と結婚した。ホーランド=ドジャー=ホーランドが立ち上げたインヴィクタスの初期所属アーティストとなった彼女は、単なるシンガーにとどまらず、作詞作曲からボーカル・アレンジ、プロデュースまでを自らこなす才媛として頭角を現した。
コープランドのキャリアにおける最も驚くべきハイライトのひとつが、ジョージ・クリントン率いるパーラメントの歴史的デビュー・アルバム『Osmium』(1970年)への全面的な参加である。彼女はクリントンとともにアルバムの共同プロデュースを務めただけでなく、「The Silent Boatman」や「Little Old Country Boy」といった異色の名曲を共作・提供した。
英国トラッド・フォークやブルースの翳りと、デトロイトの荒々しいファンク・グルーヴが交錯するこれらの楽曲は、初期パーラメントの特異な音楽性を決定づける重要な要素となった。さらに翌1971年のパーラメントの重要シングル「Come In Out of the Rain」や「Breakdown」の制作にも深く関与した。
コープランドがインヴィクタスから発表した2枚のソロ・アルバムは、ファンカデリックの黄金期メンバーが全面参加したサイケデリック・ファンク/ロックの幻の名盤としてカルト的人気を誇る。
1970年のソロ・デビュー作『Self Portrait』では、エディ・ヘイゼル(ギター)、バーニー・ウォーレル(キーボード)、ビリー・ベース・ネルソン(ベース)、ティキ・フルウッド(ドラムス)という『Maggot Brain』期の伝説的ラインナップがバックを務めた。ザ・ローリング・ストーンズの「Play with Fire」の壮絶なカバーをはじめ、漆黒のグルーヴと激情的なボーカルが火花を散らす傑作となった。
続く1971年の『I Am What I Am』でも同様にファンカデリックの面々が演奏を担当し、ストーンズの「Gimme Shelter」をドープかつヘヴィなファンク・ロックへと昇華させた名カバーや、緊迫感あふれる反戦アンセム「The Medal」を収録した。当時クリントンと報酬面で衝突し一時離脱していたヘイゼルやネルソンらは、コープランドのバックバンドとしてツアーに同行し、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの全米ツアーでオープニング・アクトを務めるなど、両者の絆は極めて強固であった。
1976年にはRCAへ移籍し、バーナード・パーディやマイケル・ブレッカーらニューヨークの錚々たる名手を迎えたアルバム『Take Me to Baltimore』を発表した。
英国人女性シンガーの叙情的なソングライティングと、デトロイトのストリートで鳴り響いていた黒人サイケデリック・ファンクが奇跡的に融合した彼女の初期作品群は、単なるPファンクのサイド・ストーリーにとどまらず、1970年代初頭のアメリカン・ロック/ファンクの交差点に咲いた稀有な名作として今なお高い評価を獲得している。