The Wild Magnolias

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The Wild Magnolias

The Wild Magnoliasとは

The Wild Magnolias(ザ・ワイルド・マグノリアス)は、アメリカ・ルイジアナ州ニューオーリンズを拠点に活動してきたマルディグラ・インディアンのトライブ(部族)であり、同時にファンク・バンドとしても知られるグループだ。伝統的なチャントとパーカッションを軸にしながら、ニューオーリンズのファンクやソウルの編成を取り入れて録音と演奏を続けてきた。

中心人物は、1964年から2015年までビッグ・チーフ(酋長)を務めたボー・ドリス(Theodore "Bo" Dollis)だ。彼の在任中は「Bo Dollis & The Wild Magnolias」名義でもクレジットされていた。ボー・ドリスの死後は、すでに2012年からバンドを率いていた息子のジェラルド・"ボー・ジュニア"・ドリス(Bo Dollis Jr.)がその役割を引き継いでいる。

マルディグラ・インディアンの伝統からファンクへ

「The Wild Magnolias」を名乗るマルディグラ・インディアンのグループは、遅くとも1950年代には存在していた。1964年以前にはLeon、Flap、Joe Lee Davisらが短期間ビッグ・チーフを務めていた。

1964年にそれまでWhite EaglesやGolden Arrowsなどのトライブに参加していたボー・ドリスがビッグ・チーフに就任すると、グループの活動は音楽バンドとしても前面に出るようになる。1960年代後半には、ドリスの幼なじみであり別トライブGolden Eaglesのビッグ・チーフでもあったモンク・ブードロー(Monk Boudreaux)が加わり、活動の幅が広がった。

マルディグラ・インディアンの伝統的なコール・アンド・レスポンスと打楽器(スネア、トムトム、シンバルに加えて、ビール瓶や空き缶など)のアンサンブルを、ニューオーリンズのファンク・バンドの編成に接続した点がこのグループの出発点になった。

「Handa Wanda」と最初期の録音

1970年、第1回ニューオーリンズ・ジャズ&ヘリテッジ・フェスティバルに出演し、同年11月には地元レーベルのCrescent City Recordsから7インチ・シングル「Handa Wanda」(Deep South Recording StudioにてCy Frostが録音)を発表した。バックには、ピアニスト/アレンジャーのウィリー・ティー(Willie Tee、本名Wilson Turbinton)やギタリストのスヌークス・イーグリン(Snooks Eaglin)、サックス奏者のアール・タービントン・ジュニア(Earl Turbinton, Jr.)ら地元ミュージシャンによるバック・バンド「The New Orleans Project」がついている。

この「Handa Wanda」は、伝統的には声と打楽器だけで継承されてきたマルディグラ・インディアンの音楽を商業レコードとして録音した最初の作品のひとつとされ、地元のジュークボックスや口コミで広がって評判を集めた。

Barclay/Polydor期の2作

「Handa Wanda」の反響を受けて、グループはフランスのBarclay Recordsと契約し(アメリカ配給はPolydor Records)、The New Orleans Projectをバックに迎えて1974年に1stアルバム『The Wild Magnolias』、1975年に2ndアルバム『They Call Us Wild』を発表した。

1stアルバムには「Handa Wanda」「Iko Iko」「Saints(聖者の行進)」「Two Way Pak E Way」などが収録され、「Smoke My Peace Pipe (Smoke It Right)」は全米Billboard R&Bチャートで74位を記録した。ボー・ドリスの力強いヴォーカルと、モンク・ブードローの温かみのあるヴォーカル(「Shoo Fly」などでリードを担当)の対比や、うねるニューオーリンズ・ファンクのグルーヴが高く評価され、音楽評論家のロバート・クリストガウは1stアルバムについて「私が知る限り最も騒々しく盛り上がるパーティーの録音であり、オシビサやオハイオ・プレイヤーズ、さらにはミーターズにさえこう鳴ってほしいと願っていたサウンドそのものだ」と評している。この時期にはニューヨークのカーネギー・ホールやワシントンD.C.のキャピタル・センターにも出演した。

一方で、Polydorが2作目『They Call Us Wild』のアメリカ発売を見送ったため、同作はアメリカでは1993年まで未発売だった。その後はしばらく、地元ニューオーリンズのフェスティバルを中心に活動していく。

1980年代後半以降の再始動と山岸潤史の参加

1980年代後半、ニューオーリンズ・ジャズ&ヘリテッジ・フェスティバルの創設メンバーのひとりであるアリソン・マイナー(Allison Miner)の尽力でツアーと録音が再開され、1990年にはリバース・ブラス・バンド(ReBirth Brass Band)をフィーチャーした『I'm Back...at Carnival Time』をRounder Recordsから発表した。

1992年にはウィリー・デヴィル(Willy DeVille)の「New Orleans Revue」の一員として、ドクター・ジョンやジョニー・アダムズらとともにヨーロッパ・ツアーを行った。1993年9月には神戸アーバン・ジャズ・フェスティバル出演のため、初来日も果たしている。

1995年には、日本からニューオーリンズへ移住したギタリストの山岸潤史(June Yamagishi)が加入した。1996年のアルバム『1313 Hoodoo St.』(オーストラリアのAIM Records)には、山岸に加えて一時在籍したキーボーディストの小島良喜も参加している。続くCapitol傘下のMetro Blueから発表した『Life Is a Carnival』(1999年)では、ザ・バンドのカバーである表題曲にロビー・ロバートソンとブルース・ホーンズビーがゲスト参加した。

世代交代と現在までの流れ

2001年には、ギャランティをめぐる当時のマネージャーとの対立からモンク・ブードローが離脱した。2007年には、1970年代のBarclay期の2作がボーナス音源入りの2枚組としてSunnyside Recordsから再発されている。

2011年には、ボー・ドリスが米国政府によるフォーク/伝統芸術分野の最高栄誉であるナショナル・ヘリテージ・フェローシップ(National Heritage Fellowship)を米国芸術基金(NEA)から授与された。2012年からはドリスの健康状態の悪化により、息子のジェラルド・"ボー・ジュニア"・ドリスがフロントを担当し、元マネージャーからグループ名の商標権を取り戻したうえで、モンク・ブードローも再び参加した『A New Kind of Funk』(2013年)を発表している。2015年1月20日にボー・ドリスが71歳で死去したあとも、ボー・ドリス・ジュニアがビッグ・チーフの座を正式に継承して活動を続けている。

ジャンル・スタイル

Funk / Soul Bayou Funk Funk Soul
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