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ジョアン・ドナート(João Donato、本名João Donato de Oliveira Neto、1934年8月17日 - 2023年7月17日)は、ブラジル・アクレ州リオ・ブランコ出身のピアニスト、アコーディオン奏者、作編曲家、シンガーである。1950年代のボサノヴァ黎明期から活躍し、サンバ、ジャズ、ラテン音楽、ファンク、ソウルを独自のシンコペーションとリラックスしたグルーヴで結びつけた。ブラジル現代ポピュラー音楽(MPB)の発展において最も独創的な足跡を残した巨匠のひとりであり、世代や国境を越えて「ミュージシャンズ・ミュージシャン」として崇敬を集め続けた。
アマゾン奥地のアクレ州で育ったドナートは、ラジオから流れるカリブ音楽やキューバ音楽に親しみ、幼少期から類まれなリズム感覚を培った。10代でリオデジャネイロへ移住し、15歳でプロのアコーディオン奏者としてキャリアを開始する。
1950年代後半、ボサノヴァ運動の誕生期には、アントニオ・カルロス・ジョビンやジョアン・ジルベルト、アストラッド・ジルベルトらと親交を深め、グループ「オス・ナモラードス(Os Namorados)」などを結成した。1962年の『Muito à Vontade』をはじめとする初期インストゥルメンタル作品では、跳ねるようなピアノ・タッチと心地よいスウィング感で、サンバ・ジャズ/ボサノヴァのスタイルを確立した。
1960年代後半、ドナートは活動拠点をアメリカへ移し、カリフォルニアやニューヨークでカル・ジェイダー、モンゴ・サンタマリア、セルジオ・メンデス、チェット・ベイカーらと共演を重ねた。現地のジャズやソウル、サイケデリック・カルチャーを貪欲に吸収した彼は、1970年にロサンゼルスで歴史的アルバム『A Bad Donato』(Blue Thumb)を録音する。
エウミール・デオダートとの共同アレンジ、ロン・カーター(ベース)、バド・シャンク(サックス)、ドン・ウン・ホマォン(パーカッション)らの凄腕プレイヤーが参加した本作は、重厚なファンク・ビートとブラジリアン・グルーヴが炸裂するサイケデリック・ジャズ・ファンクの傑作となった。代表曲「The Frog(A Rã)」をはじめとする楽曲群は、トロピカル・フュージョンの金字塔として世界中の音楽ファンに衝撃を与えた。
1970年代初頭にブラジルへ帰国したドナートは、1973年にオデオン(Odeon)からアルバム『Quem É Quem』を発表する。親友マルコス・ヴァーリのプロデュースにより制作された本作は、ドナートが初めて自身の歌声を前面に出した記念碑的作品となった。
フェンダー・ローズのエレピが奏でるミニマルでメロウな響き、ささやくように脱力した独特のヴォーカル、そして緻密に編まれたホーンとパーカッションが織りなすサウンドは、MPB史上に残る奇跡的なサウダージとリラクゼーションを創出した。続く1975年の『Lugar Comum』では、カエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジルらトロピカリア世代が作詞で参加し、ブラジル音楽界の精神的支柱としての評価を決定づけた。
「A Rã(蛙)」「Amazonas」「Lugar Comum」「Bananeira」「Simples Carinho」「Minha Saudade」といったドナートの名曲は、カエターノ・ヴェローゾ、ガル・コスタ、セルジオ・メンデス、クインシー・ジョーンズをはじめ世界中のアーティストによって歌い継がれてきた。また、アシッド・ジャズ・ムーブメントやMadlib、Marcelo D2らによるヒップホップのサンプリング・ソースとしても熱狂的に支持された。
晩年に至っても若々しい好奇心を失わず、エイドリアン・ヤングとアリ・シャヒード・ムハンマドによる『Jazz Is Dead』シリーズへの参加など、80代を超えても先鋭的な音楽表現を追求し続けた。2023年7月に88歳で世を去るまで、ブラジル音楽の気品とユーモアを体現し続けたその功績は今なお燦然と輝いている。