Vinyl Record Reviews
Leon Haywoodは、1942年2月11日にテキサス州ヒューストンで生まれた、アメリカのファンク/ソウル・シンガー、ソングライター、キーボード奏者、プロデューサーだ。2016年4月5日にロサンゼルスで亡くなっている。
幼い頃からブルースを聴いて育ち、3歳でピアノを始めたという経歴を持つ。10代になると地元のステージで演奏し、ブルース・ギタリストのギター・スリムの伴奏も務めた。早い時期から現場で鍛えられたタイプのミュージシャンだった。
1960年代初頭にカリフォルニアへ移り、サックス奏者Big Jay McNeelyのバンドで最初の録音を行った。その後はSam Cookeのバンドにキーボード奏者として参加し、Cookeが亡くなるまで在籍している。
この時期の録音を経て、Imperialと契約。1965年に「She's with Her Other Love」でR&Bチャートに初登場した。1967年には「It's Got to Be Mellow」がヒットし、モータウンの影響を感じさせるソウル・サウンドとして受け止められたようだ。同じ1967年には、自身のレーベルEvejim Recordsも立ち上げている。
Leon Haywoodがソロ・アーティストとして本格的に存在感を示したのは1970年代半ば以降だ。20th Century Recordsと契約し、ファンクやディスコの要素を取り入れた楽曲でチャートに入るようになった。
音楽の特徴としては、70年代中盤のファンクを下敷きにしたミディアム・テンポの曲や、ロマンティックなバラードが中心にある。そこにストリングスを重ねたアレンジが多く、派手に新機軸を打ち出すというより、既存のソウル・サウンドを整えた形で作品を作っていた。
なかでも「I Want'a Do Something Freaky to You」は最大のヒットで、R&Bチャート7位、全米ポップ・チャート15位を記録した。「Don't Push It Don't Force It」は1980年にR&Bチャート2位まで上がり、ポップ・チャートでも49位、全英シングル・チャートでは12位に入っている。
1980年代半ば以降はレコード業界から少し距離を置き、事業面に軸足を移していった。1990年代には、自身のEvejim RecordsからJimmy McCracklinらのブルース作品をプロデュースしている。
アーティストとしての活動だけでなく、レーベル運営やプロデュースにも関わっていた点は、Leon Haywoodのキャリアを考えるうえで重要だ。演奏家、作家、制作者の役割をまたぎながら動いていた。
Leon Haywoodの名前が後の世代に広がるきっかけのひとつになったのが、「I Want'a Do Something Freaky to You」のサンプリングだ。特にDr. Dreの1992年のヒット「Nuthin' but a 'G' Thang」で使われたことで、この曲はヒップホップの文脈でも知られるようになった。
こうしたサンプリングの広がりを見ると、1970年代のソウルやファンクが、後のプロデューサーたちに素材として参照されていたことがわかる。Leon Haywoodの楽曲も、その流れの中で繰り返し使われてきた。
Leon Haywoodは、派手な革新性を前面に出すタイプではないが、70年代ソウル/ファンクの実用的な強さをしっかり残したアーティストだ。ヒット曲を追うだけでも、ブルースからソウル、ファンク、ディスコ、そしてサンプリング文化へとつながる流れが見えてくる。