Vinyl Record Reviews
Mulatu Astatke(ムラトゥ・アスタトゥケ)は、エチオピア出身のヴィブラフォン奏者、キーボード/オルガン奏者、作曲家、編曲家。エチオピアの伝統音楽とモダン・ジャズ、アフロ・キューバン、ラテン音楽、ファンクを鮮やかに融合させた「Ethio-Jazz(エチオ・ジャズ)」の創始者、「エチオ・ジャズの父」として世界的なリスペクトを集めている。
1943年にエチオピアのジムマで生まれ、1950年代後半に渡英。ロンドンのトリニティ音楽院で学んだ後、アメリカ・ボストンのバークリー音楽大学に進学した。バークリーでは同校初のアフリカ人留学生としてジャズ理論やヴィブラフォン奏法、編曲技法を深く習得した。
その後はニューヨークに拠点を移し、ラテン・ジャズやサルサ、アフロ・キューバンの演奏家たちと精力的に交流。この時期の現場感覚と多彩なリズムの体得が、のちのエチオ・ジャズ確立の大きな礎となった。
Mulatu Astatkeの音楽の核心にあるのは、エチオピア固有の五音音階(ペンタトニック)に基づく妖しく哀愁を帯びた旋律と、ジャズのモーダルな和声展開、そして躍動的なアフロ・ラテン/ファンクのリズムの融合だ。西洋のモダン・ジャズの手法を取り入れながら、エチオピア音楽の本質と見事に結実させた。
作曲家・アレンジャーとしてだけでなく、ヴィブラフォンやキーボード、オルガンを操るマルチ・インストゥルメンタリストとしても傑出した手腕を発揮。また、伝統的に歌唱中心であったエチオピアのポピュラー音楽にコンガやボンゴなどのパーカッションを持ち込み、器楽演奏(インストゥルメンタル)の地位を大きく引き上げた功績も極めて大きい。
ニューヨーク時代に録音された作品としては、1966年の『Afro-Latin Soul, Vols. 1 & 2』や1972年の『Mulatu of Ethiopia』が名高い。いずれもエチオピアの旋律美とアフロ・ラテン・グルーヴが交錯する黎明期の重要作として語り継がれている。
エチオピア帰国後は、帝政末期のアディスアベバで活況を呈したシーンを牽引。Amha Recordsから数々の7インチ盤を放ち、1974年には歴史的名盤『Yekatit Ethio-Jazz』を発表した。これらの作品群は、エチオ・ジャズの黄金期を象徴する金字塔となっている。
Mulatu Astatkeの楽曲では、エチオピア独特の旋律美に、ヴィブラフォンやエレピ、オルガンのミステリアスな音色、重厚なホーンセクションが幾重にも重なり合う。ラテン由来のパーカッションやファンク由来のベースラインがうねるインストゥルメンタルは、サイケデリックかつモーダルな無二の音響世界を創り出している。
1990年代後半以降、フランスのBuda Musiqueが手掛けたコンピレーション・シリーズ『Éthiopiques(エチオピークス)』によって、世界的な再評価の波が巻き起こった。特に『Éthiopiques, Vol. 4: Ethio Jazz & Musique Instrumentale 1969-1974』は、世界中の音楽リスナーやクリエイターに衝撃を与え、エチオ・ジャズの存在を決定づけた。
さらに、ジム・ジャームッシュ監督の映画『ブロークン・フラワーズ』(2005年)の劇中歌としてフィーチャーされたことで、映画ファンをはじめ幅広いリスナー層に認知を拡大した。
2000年代以降も意欲的な創作を続け、UKのサイケ・ジャズ・コレクティヴThe Heliocentricsとの共作『Inspiration Information』(2009年)や、Quantic(Will Holland)ら新世代プロデューサーとのコラボレーションを敢行。さらに、マッドリブ、ナズ、ダミアン・マーリー、カニエ・ウェストなどヒップホップ/ビートミュージック界におけるサンプリングソースとしても頻繁に参照され、現代のクラブ・ジャズやアフロビート・シーンに絶大な影響を与え続けている。