Vinyl Record Reviews
Roy Ayersは、1940年9月10日にロサンゼルスで生まれたヴィブラフォン奏者、作曲家、プロデューサーだ。2025年3月4日にニューヨークで84歳で亡くなった。ジャズ、ファンク、ソウルの領域で活動し、とくにジャズ・ファンクとソウル・ジャズの文脈で重要な存在として知られている。
音楽一家に育ち、父はトロンボーン、母はピアノを演奏していた。5歳のときにヴィブラフォン奏者Lionel Hamptonからマレットを贈られたというエピソードも伝えられている。1962年にはビバップのサイドマンとしてキャリアを始め、1966年にはフルート奏者Herbie Mannのグループに参加した。
その後、Atlanticでリーダー作を重ね、1969年の『Daddy Bug』もその時期の作品にあたる。ここまでの時点では、主にジャズのプレイヤーとしての歩みが中心だ。
1970年にPolydorへ移籍すると、自身のバンド「Roy Ayers Ubiquity」を始動させた。Ubiquityは「同時にあらゆる場所に存在する状態」を意味する言葉だ。この時期から、ジャズにファンクやソウルを取り入れたサウンドが前面に出てくる。
1970年代のAyersは、ジャズの演奏家という枠に収まらず、グルーヴを重視した楽曲づくりで存在感を強めた。ジャズ・ファンクの開拓者の一人として語られるのは、この時期の活動が大きい。
1973年には映画『Coffy』のサウンドトラックを手がけた。1976年の「Everybody Loves The Sunshine」は、Roy Ayersを代表する曲としてよく挙げられる。ほかにも「Searching」「Running Away」などが知られている。
1970年代後半には、アフロビートの創始者Fela Kutiとナイジェリアをツアーし、1980年にはFelaとAfrica '70とのアルバム『Music Of Many Colours』を発表した。ジャズ、ファンク、ソウルに加えて、アフロビートとの接点も持っていたことがわかる。
1980年には自身のレーベルを立ち上げ、その後もUno MelodicやGold Minkといったレーベルを運営した。制作とリリースの両面で、自分の音楽を管理する動きがあった。
1990年代以降は、ヒップホップで多くサンプリングされたアーティストの一人としても知られるようになった。Erykah Baduの作品に参加し、2015年にはTyler, the Creatorとも共演している。2020年にはAdrian YoungeとAli Shaheed Muhammadが主宰するJazz Is Deadシリーズの第1弾にも参加した。
Roy Ayersの音楽は、ヴィブラフォンを中心にした演奏が軸にある。ジャズの即興性を保ちながら、ファンクのリズムやソウルの要素を取り込んだ構成が特徴だ。代表曲では、メロディとリズムの両方が前に出てくる。
また、彼の作品はサンプリング素材としても使われることが多く、ヒップホップやネオ・ソウルの文脈でも参照されてきた。こうした広がりから、「ネオ・ソウルのゴッドファーザー」と呼ばれることもある。
Roy Ayersは2023年までステージに立ち続けたとされる。ジャズのプレイヤーとして始まり、ジャズ・ファンクを押し広げ、さらに後続世代のR&B、ヒップホップ、ネオ・ソウルにも接点を持った。活動の幅は広く、作品の参照先としても長く残っている。
ディスコグラフィーやコラボレーションをたどると、ジャズの系譜の中にありながら、ファンク、ソウル、アフロビート、ヒップホップまでつながる動きが見えてくる。Roy Ayersは、その接点を実際に作品として残したミュージシャンだ。