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The B-52's(ザ・B-52's)は、1976年にアメリカ・ジョージア州アセンズで結成されたニュー・ウェイヴ/ロック・バンドだ。オリジナル・メンバーはフレッド・シュナイダー(ヴォーカル/パーカッション)、ケイト・ピアソン(ヴォーカル/オルガン/シンセ・ベース)、シンディ・ウィルソン(ヴォーカル/パーカッション)、その兄リッキー・ウィルソン(ギター)、キース・ストリックランド(ドラムス、のちにギター/キーボード)の5人。
結成のきっかけは1976年、アセンズの中華料理店でカクテル「フレーミング・ヴォルケーノ」を回し飲みしたあとに始めた即興のジャム・セッションだった。最初のジャムではストリックランドがギター、リッキー・ウィルソンがコンガを叩いており、初ライヴは1977年2月14日のバレンタインデーにアセンズの友人宅でのパーティーで行われた。シュナイダーのシュプレヒゲザング(語り歌い)と女性2人のハーモニーによるコール・アンド・レスポンス、リッキー・ウィルソンが弦を抜いた変則チューニングで弾くギター、ピアソンのオルガンやシンセ・ベースが初期サウンドの核となった。
バンド名の「The B-52's」は、ホテルのラウンジで演奏するバンドの名前を耳元で「The B-52s」と囁かれる夢をキース・ストリックランドが見たことに由来する(他に候補名として「The Tina-Trons」「Fellini's Children」なども挙がっていた)。B-52爆撃機のノーズコーンに似た、ケイト・ピアソンとシンディ・ウィルソンが高く盛り上げた「ビーハイヴ(蜂の巣)」のヘアスタイルも、初期10年間のステージを象徴する要素になった。
音楽面だけでなく、古着屋風の衣装や、1950〜60年代のサーフ・ミュージック、ポップ・カルチャーを取り込んだキッチュな見せ方も、早い段階からバンドの看板として定着した。
1978年にアトランタのインディ・レーベルDB Recordsから出した初シングル「Rock Lobster」(B面「52 Girls」)は2,000枚以上を売り上げてアンダーグラウンドで注目を集め、ニューヨークのCBGBやMax's Kansas Cityへの出演につながった。翌1979年7月には、Island Records創設者のクリス・ブラックウェルのプロデュースにより、バハマ・ナッソーのCompass Point Studiosでオーバーダブをほとんど使わずにライヴ感を生かして録音したデビュー・アルバム『The B-52's』を発表している。
このアルバムには「Rock Lobster」「Planet Claire」「Dance This Mess Around」などが収録され、再録音された「Rock Lobster」は全米Billboard Hot 100入りを果たし、カナダでは1位、オーストラリアではアルバム・チャート3位を記録してアメリカでプラチナ認定を受けた。ジョン・レノンは1980年にThe B-52'sをお気に入りのバンドに挙げ、「Rock Lobster」が『Double Fantasy』(1980年)での音楽活動復帰のインスピレーションになったと語っている。
レット・デイヴィスと共同プロデュースした2作目『Wild Planet』(1980年)は、「Private Idaho」「Party Out of Bounds」を含み、全米18位(ゴールド認定)を記録した。1981年にはトーキング・ヘッズのデヴィッド・バーンをプロデューサーに迎えて3作目のフル・アルバムの録音に入ったが、音楽的方向性の相違から中止となり、1982年に6曲入りEP『Mesopotamia』として発売された。
続く3作目『Whammy!』(1983年、「Legal Tender」「Whammy Kiss」「Song for a Future Generation」収録)ではドラムマシンやシンセサイザーを大幅に導入し、全米29位を記録した。なお同作の初盤に収録されたオノ・ヨーコのカバー曲「Don't Worry」は、著作権上の問題から以降のプレスで外され、「Moon 83」に差し替えられている。
1985年1月にブラジルの「Rock in Rio」でバンド史上最多の観客を前に演奏したのち、同年7月から4作目『Bouncing Off the Satellites』の録音に入ったが、録音中の1985年10月12日、ギタリストのリッキー・ウィルソンがエイズ関連の合併症により32歳で死去した(ストリックランド以外のメンバーには闘病を伏せていた)。ストリックランドはリッキーのギター奏法を習得してドラムスからギターへ恒久的に転向し、アルバムを完成させている。
『Bouncing Off the Satellites』は1986年9月に発表されたが、メンバーの喪失感からプロモーション・ツアーは行われず、バンドは約2年間の活動休止に入った。
1988年にストリックランドが書いた新曲をきっかけにメンバーが再集結し、ナイル・ロジャースとドン・ウォズをプロデューサーに迎えてReprise Recordsから発表したのが5作目『Cosmic Thing』(1989年)だ。先行曲「Channel Z」が全米モダン・ロック・チャートで1位となり、続く「Love Shack」と「Roam」はどちらも全米Billboard Hot 100で3位の大ヒットを記録した(「Love Shack」はオーストラリアで8週連続1位)。
さらに、同郷アセンズのR.E.M.のマイケル・スタイプがミュージック・ビデオにカメオ出演した第4弾シングル「Deadbeat Club」も全米30位となり、アルバム自体も全米4位(マルチ・プラチナ認定)、オーストラリアとニュージーランドで1位、全英8位を記録してキャリア最大の商業的成功を収めた。
1990年にはケイト・ピアソンがイギー・ポップの「Candy」(全米28位)に、1991年にはR.E.M.の「Shiny Happy People」(全米10位)にゲスト・ヴォーカルとして参加した。シンディ・ウィルソンが一時的にバンドを離れていた時期には、3人編成で政治的メッセージ色を強めた6作目『Good Stuff』(1992年、全米16位)を発表している。
1994年には実写映画『フリントストーン/モダン石器時代』に「The BC-52's」として出演し、主題歌「(Meet) The Flintstones」が全英3位、全米33位を記録した。1996年にはシンディ・ウィルソンが正式復帰し、1998年のベスト盤『Time Capsule: Songs for a Future Generation』、2002年のアンソロジー『Nude on the Moon』を経て、2008年には『Good Stuff』以来16年ぶりのスタジオ・アルバム『Funplex』(全米11位)を発表した。
2012年末にはキース・ストリックランドがツアー活動からの引退を表明したが、バンド在籍は継続している。2022〜2023年にフェアウェル・ツアーを行ったのち、2023年からはラスベガスのThe Venetianでレジデンシー公演を開催。2024年5月には故郷アセンズのプロアイスホッケー・チームが代表曲にちなんで「Rock Lobsters」と命名され、2025年にはディーヴォ(Devo)との北米共同ツアーも行っている。