Vinyl Record Reviews
The Whole Darn Familyは、アメリカ・バージニア州リッチモンドで結成されたファンク/ソウル・バンドだ。1970年代後半に活動を広げ、黒人4人と白人3人の混成メンバーで知られている。メンバーにはTyrone “Little Tommy” Thomas、Woudy Hughes、Tommy Bryant、Clifton Smith、Odis Hamlin、Joel Smither、Girard “Giz” Boweらがいた。
バンドの運営やプロデュースを担ったのは、August MoonことAlexander Randolphで、リッチモンド南部の店舗を拠点にインディー・レーベルSoul Internationalを動かしていた。Hughesによれば、Moonはメンバーに給料を払い、良いホテルに泊めていたが、一方でThomasとバンドに後に後悔することになる契約を結ばせた。
このバンドの最初期の仕事は、Swamp DoggことJerry Williamsの手配で歌手Charlie Whiteheadのバックを務めたことだった。ライブではJames Brownの前座も経験している。Joel Smitherは当時の演奏を映画『アニマル・ハウス』のようだったと語っており、Woudy HughesはJames Brownの前座を務めた際、「後ろからジェームス・ブラウンが出てくるんだから、タイトにやらなきゃ」と振り返っている。
1976年には、唯一のアルバム『Has Arrived』を発表した。録音はアトランタのSound Pitで、数日間の深夜セッションで行われた。発売はSoul International、配給はニューヨーク州バッファローのAmherst Recordsが担当している。
このアルバムでは、全曲の作者としてAugust MoonとTyrone Thomasがクレジットされていたが、メンバーは不満を抱いていた。
シングル「Ain't Nothing But Something to Do」はすぐに埋もれたが、アルバム収録の「Seven Minutes of Funk」が別の形で注目を集めることになる。
「Seven Minutes of Funk」は、もともと「Funk Jam in C」という題で、Tyrone Thomasがオハイオ・プレイヤーズの「Skin Tight」のような曲を求めて、リッチモンドの家のリビングで最初にリハーサルされた。Joel Smitherは「誰もこの曲を書いていない」と話している。
曲の核になっているのはWoudy Hughesのベースラインで、改造したMu-Tronペダルによるワウの効いた音が特徴だ。Tyrone Thomasは自分がリフを作り、Clifton Smithに教えたと主張している。
この曲はニューヨークのDJたちがかけ始めたことで広まり、12インチのディスコ・ミックスも作られた。1978年には「Tyrone Thomas and the Whole Darn Family」名義の再発盤も出ている。
「Seven Minutes of Funk」は、その後のヒップホップやブラック・ミュージックの文脈で何度も参照された。ベースラインはEPMDの「It's My Thing」(1987年)をはじめ、Jay-Z、Public Enemy、Wu-Tang Clan、Coolio、Redmanらの楽曲に使われている。Richmond誌の時点では、34曲にのぼる使用例が挙げられていた。
一方で、収益の多くはAmherstとAugust Moon側に流れたとされる。MoonがEPMDに無断で使用を許諾したとして、AmherstとHarlem MusicはMoonを訴えた。Jay-Zの曲をめぐる訴訟も起き、現在MoonとThomasはJay-Zの最初のヒット曲の共作者として名を連ねている。
Tyrone Thomasは2002年まで印税を一度も受け取らなかったと語っている。Woudy Hughesはその後30年間、フィリップ・モリスの工場で夜勤として働いた。Odis Hamlinは1993年に亡くなっている。