Idris Muhammad

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Idris Muhammad|ニューオーリンズ育ちのジャズ・ファンク・ドラマー

Idris Muhammad(アイドリス・ムハマッド)は、1939年11月13日にアメリカ・ルイジアナ州ニューオーリンズで生まれたドラマーだ。2014年7月29日にフロリダ州フォートローダーデールで亡くなっている。ジャズ、ファンク、ソウルの現場をまたぎながら活動し、特にジャズ・ファンクの文脈で名前が挙がることが多い。

ニューオーリンズで身につけたリズム感

ムハマッドは本名をレオ・モリスという。ニューオーリンズの13区で育ち、近所のクリーニング店にあったスチーム・プレス機の音が、自分のハイハットの奏法に影響したと語っていたという。9歳でマルディグラのパレードでパーカッションを叩き、14歳のときにはアート・ネヴィルらのザ・ホーケッツによる「Mardi Gras Mambo」の録音に参加した。

セカンドラインやパレードのリズムに、シンコペーションの効いたグルーヴ、ブルージーなスウィング、ファンキーなブレイクを組み合わせたドラミングで知られる。

R&Bからジャズの現場へ

ジョー・ジョーンズの紹介でサム・クックのツアーに参加し、その後はシカゴでジェリー・バトラーやカーティス・メイフィールドと仕事をしている。1960年代半ばにはニューヨークへ移り、ケニー・ドーハム、ホレス・シルヴァー、ルー・ドナルドソン、ベティ・カーターらと共演した。アポロ・シアターのハウス・バンドでも演奏している。

ルー・ドナルドソンのバンドにいた1960年代にイスラム教に改宗し、アイドリス・ムハマッドに改名した。本人は、名前を変えても人々は演奏スタイルで自分だと分かったと話していたという。

1966年には、クリスタルズの元メンバーである歌手ラ・ラ・ブルックスと結婚している。また、ミュージカル『ヘアー』のオーケストラで長く演奏し、その後はロバータ・フラックのツアーにも参加した。

録音歴とハウス・ドラマーとしての存在感

Prestige、Blue Note、CTIなどのレーベルでハウス・バンドのドラマーとして活動し、150作以上の録音に参加した。ルー・ドナルドソンの『Alligator Bogaloo』(1967年)でもプレイしている。エンジニアのルディ・ヴァン・ゲルダーが、彼のドラム・サウンドを磨くのに力を貸したという。

リーダー作ではファンク寄りの展開へ

リーダー作では、『Black Rhythm Revolution!』(1970年)、『Peace and Rhythm』(1971年)を経て、Kudu/CTIから『Power of Soul』『House of the Rising Sun』『Turn This Mutha Out』を発表し、ファンクへと寄っていった。

こうした作品は後年ヒップホップでサンプリングされる機会が多く、ビースティ・ボーイズも『Paul's Boutique』(1989年)の「To All the Girls」で彼の曲を使っている。

その後の活動

1970年代後半にはジョニー・グリフィンのバンドに参加し、ファラオ・サンダースとも演奏している。1980年代にはヨーロッパに移り、アーマッド・ジャマル、チコ・フリーマン、ソニー・ロリンズらと録音した。

2011年にはニューオーリンズへ戻り、2014年7月29日に74歳で亡くなった。イスラムのしきたりに従って、その日のうちに埋葬された。

ジャンル・スタイル

Funk / Soul Jazz Fusion Jazz-Funk
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